== 2007年撮影のお祭り写真集 ==
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2007 御殿前(西条高校前)

2007 伊曽乃神社祭礼 御殿前 西条高校前にて 2007.10.16
栄町上組だんじり、左後は岸陰だんじり
NIKON D80 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


2007 御殿前(西条高校前)

2007 伊曽乃神社祭礼 御殿前 西条高校前にて 2007.10.16
栄町中組だんじり
NIKON D80 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


2007 御殿前(西条高校前)

2007 伊曽乃神社祭礼 御殿前 西条高校前にて 2007.10.16
砂盛町だんじり
NIKON D80 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


2007 御殿前(西条高校前)

2007 伊曽乃神社祭礼 御殿前 西条高校前にて 2007.10.16
下町南だんじり
NIKON D80 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


2007 御殿前(西条高校前)

2007 伊曽乃神社祭礼 御殿前 西条高校前にて 2007.10.16
下町南だんじり
NIKON D80 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


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●おまつり豆知識

■西条祭りと西条市民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%A1%E7%A5%AD%E3%82%8A

毎年、秋の訪れと共に祭りが近づくと 子供等の練習する鐘や太鼓の音があちこちで聞かれるようになり 根っからの祭り好きな地元ッ子はこの時期になると鐘・太鼓の耳鳴りがするとすら言われている。また故郷を離れ遠方に移り住んだ者に至っては、冠婚葬祭・盆や正月にすら帰郷しない者でも、年一度の祭りにだけは万難を排してかならず帰郷する。この土地柄ゆえ「一年は祭りに始まり、祭りに終わる」という古くからの気質が地元人の中に定着しており、これを最も象徴するものに 暦が10月から始まる「西条祭りカレンダー」があり おもに市内で毎年販売されている。

また、地元人の間では古くから現在に至るまで 祭りを神事として捉える意識が特に強く、近年の新居浜太鼓祭りにみられるようなイベント化・観光化に対する嫌悪感・抵抗感が根強い。昭和50年代以降 全国各地の祭りやイベントにも西条のだんじりが参加する機会が多くなったが、唯一伊勢神宮への奉納にだけは特別な意識を持っているところに「神事としての祭り」を尊ぶ祭り人としての気質が特に現れている。(ただし、交流のきっかけは、西条祭りで唄われる伊勢音頭である。)

伊勢神宮へは現在までに遷宮や御鎮座二千年の奉賛として6度奉納しているが、2006年(平成16年)11月4日には62回遷宮の御木曳を記念して過去最大となる32台ものだんじりと1600人の舁き夫が伊勢を訪れた。

このような伊勢神宮への奉納はもちろん、例年の祭礼においても、祭礼の運営費・屋台の維持管理費用などに行政の援助は一切受けず、すべてお花や自治会費をはじめとする市民の寄付で賄っているのも、西条祭りを愛する市民の誇りである。

■西条祭りと新居浜祭り 太鼓台とだんじり

新居浜太鼓祭りとの比較

この地方では昔よりそれぞれの祭りの特徴をあらわす表現として 西条祭りは「豪華絢爛」、新居浜太鼓祭りは「勇壮華麗」という呼び方が定着しており、特に観光ガイドなどでの紹介でもそのように記述されることが多い。

香川県西部から愛媛県東部の西条市にかけての瀬戸内海沿岸地域は 古来より極めて祭りの盛んな地域であり、それらの中でも特に際立つ異彩を放つのが西条祭りと隣市の新居浜太鼓祭りである。この二つの祭りは、互いにその規模もさることながら 地元人の祭りにかける情熱において 地方にもかかわらず全国の有名な祭礼と比肩して譲らぬ非常に激しい祭りとして知られている。また 西条祭りにおける屋台の奉納台数はいまや全国随一とまで言われており、他県に類を見ない非常に大規模な祭りとしても年々その知名度を広めている。

天保期の西条藩の記録である「西条誌」には、新居浜の一宮神社の祭礼について「台尻(だんじり)、並びに御輿太鼓(これは現在の御輿屋台と思われる)数、合十七」という記述があり、元は西条・新居浜ともに同様の祭りであったと考えられる。

以後、新居浜では次第にだんじりが廃れ、太鼓台中心の祭りになったのに対し、西条では旧来の形をほぼ残した形で現在に至っている。これによって現代では 西条市が四国の瀬戸内沿岸地域における祭礼文化圏の境界となっており、この地域での祭礼屋台の奉納は西条市以西の地域では現在「西条型だんじり」[7]が主流であり、太鼓台の奉納はは少数派になりつつある。

また新居浜市新居大島での祭礼(ここにも「吉祥寺」[8]という寺が存在する)と大三島の大山祇神社での祭礼(産須奈大祭・旧暦8月22日)に西条型だんじりの原初の形態の屋台がいまも奉納(大三島には西条型の御輿屋台も存在)されており、これは「山車(だんじり)」という祭礼神具の形態が 太鼓台のように陸上からではなく海から伝播してきたものであることを裏付けており非常に興味深いものがある。

なお、西条祭りにも新居浜市に近い地域に神社が位置する飯積神社の祭礼においては、新居浜型の太鼓台が奉納されており、この祭礼でのかきくらべは隣市の新居浜太鼓祭りと並んでもしてけっして譲らない勇壮さをもっている。また近年では太鼓台による「10台同時差し上げ」の元祖として練りの技術がとても高く、これが非常に華麗で美しい。

■屋台の構造・様式の特異性

近畿地方から淡路島をつたい 香川県を中心に瀬戸内海沿いを陸続きに伝播して広まった 太鼓台が主役の祭礼様式の文化は、ちょうど新居浜市と西条市の境界でぷっつりと寸断される。そこから以西では突如として西条型だんじりが祭礼様式の主役となっているが、これは西条における山車(だんじり)の様式が 太鼓台の伝播した陸上の経路ではなく 直接海をわたって伝えられたことの名残りでもあり、西条地方はこれゆえ 四国の瀬戸内海沿岸における もうひとつの祭礼文化の起点にもなっている。

また同時に、この地に「山車(だんじり)」という様式が伝わったことにより最も注目するべき点は 屋台の運行様式の違いであろう。山車とは元来、車をつけて曳くのが全国で最も普及した様式であるが 西条型だんじりのそれは始めから担いで運行する所謂「舁き山車」の方式をとっている。

また同じことは御輿屋台にも言うことができ 構造自体は太鼓台そのものであるにもかかわらず、太鼓台の担いで運行する様式がこの地方になると突如として大型の車輪にて曳く「曳き山」として独自の進化をとげている。

このような一地方の限定された狭い地域で急激な様式の変化や特異性をもつことは全国でも稀であるが これらの起源や歴史を記録した文献が現在では非常に少なく、それゆえこれは西条祭りの歴史的背景のなかで最も興味深い謎のひとつともなっている。
 
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