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「西条異景 西条祭りなど愛媛県西条市でのお散歩写真集 トップページ」はここから 一つの神社に奉納される山車の数としては全国最多ともいわれ、他に例を見ない大規模な伊曽乃神社例大祭の舞台となる伊曽乃神社の「その2」です。

伊曽乃(伊曾乃、いその)神社と伊曽乃神社例大祭・西条まつり(西条祭り) その2 西条市神戸日明 2008.04.06
伊曽乃神社拝殿
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

2007 伊曽乃神社祭礼 宮出し 西条市神戸伊曽乃神社にて 2007.10.15
伊曽乃神社例大祭の宮出し。2007年の撮影です。
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

2007 伊曽乃神社祭礼 宮出し 西条市神戸 伊曽乃神社にて 2007.10.15
伊曽乃神社例大祭の宮出しでの下喜多川みこし。2007年の撮影です。
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

伊曽乃神社春季例祭(開運春まつり) 2008.04.06
春には伊曽乃神社春季例祭(開運春まつり) で子供だんじりが奉納されます。この写真は2008年4月に撮影したものです。
NIKON D80 + AF-S Zoom-Nikkor ED 18-70mm F3.5-5.6 G(IF)

伊曽乃(伊曾乃、いその)神社と伊曽乃神社例大祭・西条まつり(西条祭り) その2 西条市神戸日明 2008.04.06
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
彼岸花と鳥居。この鳥居の右に「伊曽野神社の大石」があります。
「伊曽野神社の大石【西条市中野日明 伊曽野神社】
・伊曽野の神は女神であったが、ある時に西条の奥の加茂川の畔で石鎚の神に巡り会った。石鎚の神は姿も凛々しい男神であったが、二人の神様は一目見るなりお互いに心惹かれるものがあった。
・女神はたいそう恋い悩んで石鎚の男神に結婚を迫ったが、男神はわれはこれから先も石鎚の山で修行を積まねばならぬのでとても結婚はできぬという。しかし修行が終わればその時には結婚するから待っていて下され、私が石鎚の山の頂から大石を三つ投げるからその三つの石の真ん中の石のところに館を作って待っていて欲しいと言われ、そのまま石鎚の山にお昇りになってしまった。やがて山からは三つの石が投げられてきた。そして女神は真ん中のところにお社を建てて待っていられた。一方石鎚の男神は女神が修行の済まぬうちに待ちこがれて上がってこられては大変だと思い、天に向かって上がって行こうと思い、右の足を上げようとした。それ以来、石鎚の神様の像は右足が上がっているのだという。
・なお三つの石のひとつは一の鳥居の右手に今も残っている。」
*この記事は「こたろう博物学研究所:探訪エッセイ」さまより引用させていただきました。
http://www33.ocn.ne.jp/~kotaro_mil/essay/19990430.htm

紅葉 西条市神戸 伊曽乃神社にて 06/12/17
秋には紅葉がみごとです。この写真は2006年12月に撮影したものです。
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

伊曽乃(伊曾乃、いその)神社と伊曽乃神社例大祭・西条まつり(西条祭り) その2 西条市神戸日明 2008.04.06
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
境内にある案内板「伊曾乃宮畧記」からの引用です。
「伊曾乃宮畧記
祭神 伊曾乃神(天照大神(あまてらすおおかみ) 武國凝別命(たけくにこりわけのみこと))
社格 名神大社 旧國幣中社
宝物 與州新居系図(国指定重要文化財)
伊曾乃大社祭禮絵繪巻(市指定文化財)
例祭日 十月十五日
年 表
成務天皇七年 (一三七年) 創祀
天平神護元年 (七六五年) 伊予国初の神戸(十烟)を受く
天平神護二年 (七六六年) 全国初の神位(従四位下)に叙す
永治元年 (一一四一年) 神位(正一位)の極位に叙す
寛文十年 (一六七〇年) 西条藩主 松平頼純公より社地寄進さる
昭和十五年 (一九四〇年) 国幣中社に列格
昭和五十七年 (一九八二年) 皇太子(浩宮親王殿下)御親拝
当社は第十二代景行天皇の皇子 武國凝別命が伊予の国土開発の大任をおび此の地に封じられた時 伊勢神宮より天照大神を奉斎し此の地に祀る
後に命の子孫である伊予三村別(いよみむらわけ)氏により天照大神と始祖 武國凝別命とを合わせ祀り 伊曾乃神と称するを神社のはじめとす
奈良時代には皇室の尊祟厚く 新羅遠征や南海道の海賊平定などの国家的行事の奉幣祈願が数多く斎行され、伊予国第一の大社として社運隆々と栄え 全国で始めて神位を授かるに至る
また 延喜式神名帳にも名神大社としてその名を知られる
江戸時代には絢爛豪華な祭禮で知られるだんじりみこしの奉納がはじまり 歴代藩主からも手厚く保護され 今まで連綿と当時の時代絵巻を受け継いでいる。
昭和十五年 県社から国幣中社に昇格し 社殿は入蜻蛉造(いりとんぼづくり)から現在の神明造りに改められ 当時のままに伊予国有数の古社として威容を保っている」

伊曽乃(伊曾乃、いその)神社と伊曽乃神社例大祭・西条まつり(西条祭り) その2 西条市神戸日明 2008.04.06
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
伊曽乃神社の社宝には、重要文化財の日本三大古系図の一つ「予州新居系図」や、西条藩主がお国自慢として元禄年間に仙台公に贈った「 伊曽乃祭礼絵巻」などがあります。
「国指定重要文化財 予州新居系図
これは、新居氏の一族である東大寺戒壇院の長老示観国師凝然が、弘安四年(一二八一)に伊予の豪族新居氏の家系を消息文の紙背へ詳細に書いたもので、三,六メートル余りの横系図である。
伊曽乃神社の祭神である武国凝別命の子孫が新居氏とよばれ、系図には、上は一条天皇の頃から下は後宇多天皇の頃までおよそ三百年間にわたって十二世五百人が書かれている。
この新居系図は、和気系図・海部系図と共に、日本三大古系図のひとつに数えられている。
昭和二十七年三月二十九日指定 西条市教育委員会」

伊曽乃神社 西条市神戸 2006/12/17
この写真は2006年12月に撮影したものです。
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
境内正面の「神木」と呼ばれるクスノキ(楠)は、目通り 周り約5.5m、高さ約30m、推定樹齢七百年のみごとな大木です。

伊曽乃(伊曾乃、いその)神社と伊曽乃神社例大祭・西条まつり(西条祭り) その2 西条市神戸日明 2008.04.06
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
伊曽乃神社にはおおくの境内神社があります。御先神社(祭神:猿田毘古神)、山王神社(祭神:大山咋神)、妙見神社(祭神:八千鉾神)、厳島神社(祭神:多紀理毘賈命・市寸島比賈命・多岐都比賈命 東町新地の厳島神社)、天満神社(祭神:菅原道真公・大物主命・可々背男命・大山積命・神田大明神)、三頭神社(祭神:経津主命 津超に鎮座)、福原神社(祭神:経津主命・武甍槌命・保食神 福武沢に鎮座)、天皇神社(祭神:素盞鳴尊 福武天皇に鎮座)、鎮守神社[又野神社](祭神:又野の村上平兵衛・宇高の高橋孫兵衛・宇高の高橋弥一右衛門)、瑞枝神社(祭神:祖霊並久門家祖神)、古茂理神社(祭神:木花之佐久夜毘賣命)などです。
鎮守神社[又野神社]については案内板に
「鎮守神社(又野神社)
祭神 又野の村上平兵衛 宇高の高橋孫兵衛 宇高の高橋弥一左衛門
宝暦三年(一七五三年)西条藩主・頼淳(よりあつ)公定府(江戸在住)で 当時西条藩の苛政に窮苦した農民は藩庁に哀訴嘆願するも容れられず 加茂川原に集まり強訴 三神は首謀者として捕えられ 宝暦四年に江戸藩邸よりの御赦免状が間に合わず 加茂川原で斬刑 後日藩公その死をあわれみ三公の霊を当社境内に祀る」とありました。
瑞枝神社(祭神:祖霊久門家祖神)については
「瑞枝神社
祭神 祖霊並久門家祖神
神葬者霊魂に併せて 天正の陣に没せられし久門一族の祖神を祀る」とあります。天正の陣では久門甚五郎政家が戦死しています。
古茂理神社(こもりじんじゃ)には
「古茂理神社(こもりじんじゃ)
祭神 木花之佐久夜毘賣命(このはなのさくやひめのみこと)
木花之佐久夜毘賣命(このはなのさくやひめのみこと)は大山津見(おおやまつみ)神の娘で、石長毘賣(いはながひめ)の妹。美人の神様にて神武天皇の御祖々母にあたられ 後世安産育児の神として信仰あり 中野村(現在の中野)の産土神(うぶすなさま)」とあります。

伊曽乃(伊曾乃、いその)神社と伊曽乃神社例大祭・西条まつり(西条祭り) その2 西条市神戸日明 2008.04.06
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
伊曽乃神社には、寒風山トンネルの坑内工事現場で採取され、平成7年7月高知県との県境到達の記念として鹿島・大成共同企業体より伊曽乃神社に奉納された「寒風山トンネルの岩塊」や、伊曽乃神社が国幣中社に昇格したときの功労者である「大倉粂馬翁頌徳碑」などもたっています。

伊曽乃(伊曾乃、いその)神社と伊曽乃神社例大祭・西条まつり(西条祭り) その2 西条市神戸日明 2008.04.06
周辺には彼岸花(まんじゅしゃげ)がきれいに咲いていました。
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
■土居構跡・伊曽乃神社・保国寺庭園の所在地地図・アクセス
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●豆知識●●伊曽乃神社祭礼*西条市のホームページなどから引用させていただきました。
情報が古い可能性もありますので、お出かけになる際はご確認してくださいね。
■伊曽乃神社祭礼(10月15日・16日)
伊曽乃神社祭礼10月15日午前2時頃からの御宮出しに始まり、10月16日午後4時頃のお宮入りまで2日間にわたり行われる伊曽乃神社の祭礼は西条市の中でも最も大きなもので、だんじり・みこし合わせて80台余りの屋台が繰り広げる豪華絢爛なおまつりです。
早朝と夜は百余りの提灯を灯し幻想的なお祭り絵巻を再現しています。発祥は定かではありませんが江戸年間 宝暦11年(西暦1761年)頃に文献上に登場してきます。
御宮出し
10月15日午前2時頃から奉納される屋台が神輿をお迎えに伊曽乃神社境内に集まります。屋台には百余りの提灯が灯され15から20人余りで勇壮に石段を担ぎ上げて行きます。
お旅所
10月16日午前2時頃から奉納される80台余りの屋台すべてが集まり、ここから1日の統一行動が始まります。次から次へと入場してくる屋台は他の屋台に負けじと練を繰り広げてゆきます。
動画:お旅所2006年お旅所(約3分50秒)
御殿前
10月16日午前7時頃から早朝にお旅所を出発した屋台が西条高校正門前(旧西条藩陣屋跡)に集まります。ここでは提灯を灯しているときとは趣の違うそれぞれの屋台がお堀の水面に写りその彫刻のすばらしさとともに最も美しい姿を披露します。
川入り
10月16日午後3時頃から加茂川の土手に屋台が集まりまつりもフィナーレを迎えます。川を渡って伊曽乃神社に御宮入りしようとする神輿を見送りにきた屋台が夕日を浴びながら土手の上に一列に並ぶ姿は壮観そのものです。また、川の中ではまつりの終わりを惜しみ、少しでも引き伸ばそうと神戸地区の屋台が神輿の行く手を阻みます。
神輿が加茂川を渡りきるとまつりも終わりを迎えます 。
□伊曽乃神社(いそのじんじゃ)祭礼運行コース及び予定時刻
10月15日
2:00〜6:00 伊曽乃神社境内で宮出し宮出し後市内各屋台運行
10月16日
2:00〜5:00 お旅所で宮出し
5;40〜 登道
6:00〜 札の辻
6:05〜 風伯神社
6:30〜 魚屋町
6:40〜9:00 御鮫前(西条高校前)
9:25〜 土橋
9:50〜 かけひ
10:05〜11:05 古川玉津橋線
11:30〜 横黒
11:45〜12:50 玉津
13:30〜 明神木
14:20〜 中町小川から2手にわかれる
15:00〜 大町四辻
15:30〜 加茂川堤防
16:40〜 川入
16:55〜 川上り
18:00〜 宮入り
●伊曽乃神社*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9B%BD%E4%B9%83%E7
%A5%9E%E7%A4%BE
伊曽乃神社(いそのじんじゃ)は愛媛県西条市中野に鎮座する神社である。「磯野」と表記されることもある(『三代実録』等)。延喜式神名帳では名神大社に列し、旧社格は国幣中社である。現在は神社本庁の別表神社。神紋は御所車。
伊曽乃神社
所在地 愛媛県西条市中野甲1649
主祭神 天照大神・武国凝別命
社格等 式内社(名神大)・国幣中社・別表神社
創建 伝成務天皇28年(158年)
本殿の様式 神明造
例祭 10月15日・16日
祭神
* 天照大神の荒魂と武国凝別命。ただし、国幣中社昇格の際には「伊曽乃神(いそののかみ)」とされた。
由緒
* 社伝によれば、伊予御村別の祖・武国凝別命(景行天皇の皇子)が東予地方を開拓するにあたり、皇祖神である天照大神を祀ったことに始まるという。
* 天平神護元年(765年)神戸10烟を充てられ、翌天平神護2年(766年)従四位下を授かるとともに神戸5烟を加えられた。永治元年(1141年)正一位に叙され、崇徳天皇より勅額を賜る。
* 天正13年(1585年)には豊臣秀吉の四国征伐により社殿・社宝等兵火にかかって一切焼失し、難を避けて土佐国へ遷座。慶長11年(1606年)旧地に復座する。
* 近代社格制度の発足に際しては、祭神不詳として官社の認可を受けられず、伊予国第一県社とされる。昭和15年(1940年)長年の昇格運動が実り、国幣中社に昇格した。
伝承
* 地元の伝説によれば、その昔、伊曽乃の女神と石鎚山の男神が加茂川の畔で出会った。二人は恋仲となり、女神は結婚を迫った。しかし男神は、石鎚山で修行を続けなければならないために結婚はできないと断った。しかも石鎚山上は女人禁制のため、同行は許されない。「修行を終えれば結婚するのでそれまで待ってほしい。山頂から三つの大石を投げるので、真ん中の石が落ちた所に館を造って待つように」と言い残して山へ登った。間もなく、石鎚山から三つの石が飛んできたので、真ん中の石が落ちたところに営まれたのが伊曽乃神社だという。
* 現在、伊曽乃神社の一の鳥居の脇には、石鎚の神の投げ石と伝えられる石が残っている。
文化財
重要文化財
* 与州新居系図 凝然筆
例大祭
伊曽乃神社例大祭
* 楽車(だんじり)(舁き山車)77台、御輿屋台(みこし)(曳き山の太鼓台。氏子の奉納屋台で神輿(おみこし)とは違う)4台が奉納され、一つの神社に奉納される山車の数としては全国最多ともいわれ 他の地方に例を見ない大規模なものである。
外部リンク
* 伊曽乃神社
●伊曽乃神社の由緒「伊曽乃神社」のホームページより引用させていただきました。
http://www.shikoku.ne.jp/isono/hyoshi/yuisyo/uisyo.html
御祭神
伊曽乃神《天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命》
神紋
御所車
由緒
第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。
命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが当社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には浩宮様(現皇太子殿下)も御親拝されました。
●伊曽乃神社の年表*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://www.shikoku.ne.jp/isono/hyoshi/nenpyo/nenpyo.html
成務天皇二十八年 (158年) 創祀
淳仁天皇天平宝字六年 (762年) 朝廷より新羅遠征の為の奉幣祈願あり
称徳天皇天平神護元年 (765年) 伊豫国で始めての神戸(かんべ)十烟を受く
称徳天皇天平神護二年 (766年) 我が国で始めての神位従四位下を叙せられ神戸五烟を加えられる
清和天皇貞観十三年 (871年) 名神大社に列し祈年新嘗の官祭にあづかる
醍醐天皇延長五年 (927年) 延喜の制の名神大社
崇徳天皇永治元年 (1141年) 神格正一位に極位する
土御門天皇建仁元年 (1201年) 神領三百六十町 社運隆盛
後深草天皇建長七年 (1255年) 封戸田等六町六反 国庁田租を免ず
伏見天皇正応年間頃 (1290年頃) 凝然(東大寺学僧)与州新居系図を作成する
天正十三年 (1585年) 秀吉の四国征伐により兵火に罹る
寛文十年 (1670年) 西条松平頼純藩主社地を寄進す
昭和十五年 (1940年) 国幣中社に列格
昭和二十七年 (1952年) 与州新居系図が国指定重要文化財となる
昭和五十七年 (1982年) 浩宮様親拝される
平成二年 (1990年) 御昇格五十周年記念事業完成