お祭り写真集は右側のリンクから
      ■現在、撮影した以下のお祭りの様子を精力的にアップしています。
      ■「2009 伊勢神宮宇治橋渡始奉納」はここから

      ■今後、掲載予定の2009年の祭り
      ●(11月7日~8日) 西条だんじり伊勢神宮奉納 宇治橋渡り始め奉祝行事
      ●(10月17日) 新居浜太鼓祭り角野泉川地区夜太鼓、上部地区太鼓台統一かきくらべ
       多喜浜駅前かきくらべ、松神子 vs 阿島鉢合わせ、新田入口、下原バス停、飯積神社祭礼船屋朝太鼓

      ●(10月16日) 伊曽乃神社お旅所・御殿前・川入り・駅前と西条地区後夜祭、新居浜大生院中萩地区夜太鼓
      ●(10月15日) 石岡神社祭礼後夜祭・宮入り、小松祭り前夜祭、丹原町統一かきくらべ
       みこし(御輿)のねり比べ、植村会、七泰会、石水会、伊曽乃川人会
       伊曽乃神社宮出し、石岡神社渡御行列(お旅所付近)

      ●(10月14日) 伊曽乃神社祭礼前夜祭、土居太鼓祭り統一かき比べ、石岡神社祭礼本殿祭
      ●(10月13日) 土居太鼓祭り北小学校、石岡神社祭礼橘・氷見地区宵祭り
      ●(10月11日) 御所神社祭、加茂神社例祭(福武祭)、原之前荒神祭
       秋季弁天祭り、橘新宮祭、禎瑞嘉母神社祭礼統一運行・河川敷、鶴岡八幡神社宮出し

      ●(10月10日) 東予秋祭り統一運行、保内八幡神社宮出し

      ■掲載完了の2009年の祭りなど
      ●「2009 伊勢神宮宇治橋渡始奉納」はここから
      ●「2009 伊曽乃神社祭礼 宮出し」などはここから
      ●「2009 伊曽乃神社祭礼 御殿前」などはここから
      ●「2009 西条市の祭り関係 新調八丁屋台昼・夜運行、八丁屋台新調、愛寿会慰問運行
        横黒屋台30周年、吉原稲荷大明神大祭、四国の祭り2009 in サンポート高松
        西条市産業文化フェスティバル子供屋台運行、伊曽乃神社の開運春まつり」などはここから

      ●「2009 新居浜太鼓祭り関係 一宮神社かきくらべ(大江vs中須賀、大江vs西町小競り合い)
        大江浜かきくらべ(大江vs中須賀小競り合い)
        東浜太鼓台新調、江口太鼓台新調、東町太鼓台展示(フジグラン今治)
        伊藤商店飾り幕展示、久保田太鼓台展示、新須賀太鼓台(フジグラン新居浜)
        池田太鼓台(船木夏祭り)、新居浜夏祭り、マイントピア別子の子供太鼓台」などはここから

      ●「2009 新居浜太鼓祭り関係 春は子ども天国」などはここから
      ●「伊曽乃神社奉納屋台総集編」などはここから
      ●「石岡神社祭礼奉納屋台総集編」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り太鼓台総集編」などはここから
      ●「2009 石岡神社例大祭 山王神社祭り、桜木神社祭礼、高尾神社春祭り」などはここから
      ●「飯積神社祭礼 八幡まつり、飯岡本郷太鼓台年越し運行」などはここから
      ●「禎瑞嘉母神社祭礼 宮出し、子供太鼓台運行」などはここから
      ●「東予秋祭り 東予宵祭り(前夜祭)」などはここから
      ●「小松町秋祭り」などはここから
      ●「丹原町秋祭り 恵美洲神社春祭り」などはここから
      ●「土居町太鼓祭り」などはここから
      ●「上野太鼓祭り 関川小学校」などはここから
      ●「伊予三島秋祭り」などはここから
      ●「今治市の祭り お供馬の走り込み練習」などはここから
      ●「松山市の祭り」などはここから

 2009年11月7日~8日、第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事に、西条だんじり二十三台が奉納しました。今回はその21で、朝日町だんじり(屋台)です。

      撮影した「2009 伊勢神宮宇治橋渡始奉納」はここから

西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 三重県営総合競技場陸上競技場(伊勢市宇治館町での朝日町だんじり(屋台)の組み立て 2009年11月7日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 会場(宇治橋横の駐車場)での朝日町だんじり(屋台) 2009年11月7日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 会場(宇治橋横の駐車場)での朝日町だんじり(屋台) 2009年11月7日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 宇治橋鳥居前での朝日町だんじり(屋台)のさしあげ 2009年11月7日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 宇治橋鳥居前での朝日町だんじり(屋台)のさしあげ 2009年11月7日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 宇治橋鳥居前での朝日町だんじり(屋台)のさしあげ 2009年11月7日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 宇治橋前へ向かいおはらい町通りを進む朝日町だんじり(屋台) 2009年11月8日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 宇治橋で朝日町だんじり(屋台)の皆さんを撮らせていただきました 2009年11月8日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日

 陸上競技場へ向かいおはらい町通りを進む朝日町だんじり(屋台) 2009年11月8日
西条だんじり伊勢神宮奉納' 朝日町だんじり(屋台) 平成21年(2009年)第62回伊勢神宮式年遷宮 宇治橋渡り始め奉祝行事 2009年11月7日~8日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

■私の撮影した2009年の伊勢神宮宇治橋渡始奉納の写真は、右側のカテゴリーの「2009 伊勢神宮宇治橋渡始奉納」をクリックして順次ご覧ください。

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●豆知識●

●八咫鏡
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%92%AB%E9%8F%A1

八咫鏡(やたのかがみ)は三種の神器の一つ。神鏡(しんきょう)、賢所(かしこどころ)などともいう。また『日本書紀』には別の名を真経津鏡(まふつの かがみ)ともいうと記されている。
概要

記紀神話によれば、天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。そして再び世は明るくなった。天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された。

咫(あた)は円周の単位で、0.8 尺である。径 1 尺の円の円周を 4 咫としていた。したがって「八咫鏡」は直径 2 尺(46cm 前後)の円鏡を意味する[1]。本来は祭祀に用いる鏡を表す一般名詞であったものが、後に三種の神器の一つである鏡を指す固有名詞になったと考えられている。

八咫鏡の所在には、今も伊勢神宮の内宮に変わらず安置されているとする説、宮中の賢所に置かれていたが、平家の都落ちとともに西遷し安徳天皇とともに壇ノ浦に沈んだとする説、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが今日も賢所に置かれているとする説、そして平家滅亡前に何処かへと遷したものがあるとする説など、諸説がある。

伊勢神宮の内宮に奉安されている鏡は、神道五部書等によれば「八葉」といい、考古学者の原田大六は福岡県前原市にある平原遺跡出土の内行花文鏡と同じ形のものではなかったかと推定している。この神宮内宮の鏡は、明治初年に明治天皇が天覧した後、あらためて内宮の奥深くに奉置されたことになっている。

宮中では賢所に奉置されていたことから、かつては「かしこどころ」と言えばこの八咫鏡のことを指した。そのため、あえて賢所のことをいう場合にはこれを「けんしょ」というか、またはその通称である「内侍所」といって、これを呼び分けたという。

参考文献

1. ^ 三原邦夫 (2000), “八咫の鏡について”, 月刊しにか (2000 年 2 月号) (大修館書店) 120

関連項目

* 銅鏡
* 日像鏡・日矛鏡 - 八咫鏡に先立って鋳造したとされる銅鏡

●三種の神器
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8

曖昧さ回避 この項目では、皇室の三種の神器について記述しています。戦後の電化製品については「三種の神器 (電化製品)」をご覧ください。

三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのじんぎ)とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする鏡・剣・玉を指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物である。

概説

神器とは神の依代(よりしろ)を意味する。

天皇の即位に際し、この神器の内、鏡と剣のレプリカ及び勾玉を所持することが日本の正統なる帝として皇位継承の際に代々伝えられている。但し過去には後鳥羽天皇など神器がない状態で即位したケースもあり、必ずしも即位の絶対条件ではない。

三種の宝物とは、「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「天叢雲剣」(「草薙剣」)のこと。神器という言い方が一般化したのは南北朝時代ごろからと言われている。

『古事記』では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾?(やさかのまがたま)、鏡、また草薙(くさなぎの)剣」を授ける。『日本書紀』本文には三種の神宝(神器)を授けた記事が無く、第一の一書に「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記している。

古代において、鏡、玉、剣の三種の組み合わせは皇室だけに特有のものではなく、一般に支配者の象徴であったと考えられ、仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手らは、それぞれ白銅鏡、八尺瓊、十握剣を差し出して恭順の意を表している。また景行天皇に服属した周防国娑麼の神夏磯媛も、八握剣、八咫鏡、八尺瓊を差し出している。また壱岐市の原の辻遺跡では最古の鏡、玉、剣の組み合わせが出土されている。

現在では八咫鏡は伊勢の神宮の皇大神宮に、天叢雲剣は熱田神宮に神体として奉斎され、八尺瓊勾玉は皇居の御所に安置されている。

また皇居には八咫鏡と天叢雲剣の形代があり、八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所に、天叢雲剣の形代は八尺瓊勾玉とともに御所の剣璽の間に安置されているとされる。

儒学伝来以後、鏡は「知」、勾玉は「仁」、剣は「勇」というように、三種の神器は三徳を表わすという解釈もある。

なお、これら三器を「三種の神器」と総称する用例は、『平家物語』、『神皇正統記』などに見える。また『神皇正統記』では、「三種の神宝(さんしゅのしんぽう・みくさのかむだから)」とも称される。

また、この三種の神器にちなみ、家電製品などで、優れた品質の物を三つ上げて「三種の神器」と呼び、又、アニメや漫画などにおいて「強力な武器」や「優れたアイテム」3種を挙げて「三種の神器」と呼ぶこともある。これは、宗教上の意味の「巡礼」が転じて、小説などの舞台となった場所を訪れることを「巡礼」と称するのと同じ経緯の用法である。
各神器と伝承

記紀の伝承では、三種の神器は天照大神の神代(よりしろ)として天孫降臨の際に天照大神より瓊瓊杵尊に授けられたとされている。
八咫鏡(やたのかがみ)

詳細は「八咫鏡」を参照

記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。そして再び世は明るくなった。のち鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。現在は伊勢神宮の皇大神宮に奉斎されている。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

詳細は「八尺瓊勾玉」を参照

八坂瓊曲玉とも書く。大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

詳細は「天叢雲剣」を参照

草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも称される。記紀神話では須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ)で倒したヤマタノオロチの尾から出てきたとし、その時の名前は都牟刈の太刀(偉大な力を持つ太刀)であった。出雲国風土記では、出雲国意宇郡母里郷(現;島根県安来市)にてオロチ退治が行われたともされている。剣は須佐之男命から天照大神に奉納され、天皇家に天照大神の神体として八咫鏡とともに手渡された事になっている。一説には鍛冶の神である天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)が作ったと言われる。

皇居内に天照大神の御神体として八咫鏡とともに祭られていたが、崇神天皇(伝紀元前148年 - 紀元前30年)の時代に皇女豊鍬入姫命により八咫鏡とともに皇居の外に祀るようになり、途中で垂仁天皇(伝紀元前69年 - 70年)の皇女倭姫命に引き継がれ、合わせて約60年をかけて現在の伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に落ち着いた。その後、倭姫命から、蛮族の討伐に東へ向かう倭建命に渡された。この時、倭建命が野火攻めから脱出する為に、この太刀で草を薙いだ事が草薙剣の名前の由来とされているが、クサは臭、ナギは蛇の意で、原義は「蛇の剣」の説が有力。倭建命が病死したのち熱田神宮に祀られた。

歴史

天皇の即位儀礼の際に三種の神宝(神器)を奉る儀礼が行われていたのはいつ頃からか。『古事記』には即位に際して神宝(神器)またはそれに類する品の宝剣に関する記事はない。『日本書紀』には以下のように見える。

* 允恭天皇元年十二月の条、「是に、群臣、大きに喜びて、即日に、天皇の璽付(みしるし)を捧げて、再拝みてうえる」。
* 清寧天皇前記十二月の条、「大伴室屋大連、臣・連等を率て、璽(しるし)を皇太子に奉る」。
* 顕宗天皇前記十二月野上、「百官、大きに会へり。皇太子億計(おけ)、天子の璽(みしるし)を取りて、天皇の坐に置きたまふ」。
* 継体天皇元年二月の条、「大伴金村大連、乃ち跪きて天子の鏡(みかがみ)剣(みはかし)の璽符(みしるし)を上りてまつる」。
* 宣化天皇前記十二月の条、「群臣、奏して、剣(みはかし)鏡(みかがみ)を武小広国押す盾尊に上りて、即天皇之位さしむ」。
* 推古天皇前記十一月の条、「百寮、表を上りて勧進る。三に至りて乃ち従ひたまふ。因りて天皇の璽印(みしるし)を奉る」。
* 舒明天皇元年正月の条、「大臣及び郡卿、共に天皇の璽印(みしるし)を以て、田村皇子に奉る」。

次は、即位儀礼の時ではないが、関連記事がみえる。

* 孝徳天皇前記六月、「天豊財重日足姫天皇、璽綬(みしるし)を授けたまひて、位を禅りたまふ」。

封建の品を璽・璽符・璽印という漠然とし書き方をしており、鏡と剣との名をあげているのは、継体紀と宣化紀の2つのみである。宝物は元は2つであったのではないかという疑問が出てくる。

690年の持統天皇の即位の際に臣下の忌部氏が剣と鏡の二種を献上している。『日本書紀』持統天皇4年(690年)正月の条に、「物部麿朝臣大盾を樹て、神祇伯(じんぎのかみ)中臣大嶋朝臣天神の寿詞(よごと)を読み、畢(おわ)りて忌部宿禰色夫知神璽の剣鏡を皇后に奉上り、皇后天皇の位に即く」とある。後に中臣氏が三種説を主張して勾玉が加わった。

尚、以下の説は神器が宮中にあったという説を元にしている。伊勢神宮などでは神器が持ち出されたという記録はない。

1185年(元暦2年)の壇ノ浦の戦いで平氏と源義経率いる源氏が戦った際に、安徳天皇が入水し草薙剣も赤間関(関門海峡)に水没したとされる。またこの時後鳥羽天皇は三種の神器が無い状態にもかかわらず後白河法皇の院宣を根拠として即位している。

足利尊氏が後醍醐天皇の建武の新政に離反し、1336年(延元元年/建武3年)に光明天皇の北朝を立てて京都に室町幕府を開くが、後醍醐は、自分が北朝に渡した神器は贋物であり自己の皇位が正統であると主張して吉野(奈良県吉野郡吉野町)に南朝を開き南北朝時代が始まる。正平一統の後に南朝が一時京都を奪還して北朝の三上皇を拉致する際に神器も接収し、後光厳天皇はじめ北朝の天皇は後鳥羽天皇の先例にならい神器無しで即位している。南朝の北畠親房は「神皇正統記」で、君主の条件として血統のほかに君徳や神器の重要性を強調する、がしかし神器無しでの即位は後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣により即位したという先例があり、三種の神器は即位の絶対条件ではない。

南朝が保有し続けた神器は、1392年(元中9年/明徳3年)に足利義満の斡旋により南北朝が合一された際に南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に渡った。

室町時代の1443年(嘉吉3年)に、南朝の遺臣が御所へ乱入し神器を奪う「禁闕の変」が起こり、勾玉が後南朝に持ち去られたままになるが、その後1458年(長禄2年)までに奪還されたと伝えられる。

明治時代には、南北両朝の皇統の正統性をめぐる「南北朝正閏論」と呼ばれる論争が起こるが、最終的には明治天皇が、南朝が三種の神器を保有していた事を根拠に南朝が正統であると決定する。

今上天皇は1989年1月7日に宮殿松の間で行われた「剣璽等承継の儀」において神器を継承した。

現存・消失論議

神器が現存、消失しているか様々な説が飛び交っている。いずれにしろ、三種の神器は、「皇室が所有しているとされていること」に意味があるともいえる。つまり、「皇室が三種の神器を所有している」というより、「皇室が所有しているもの」こそが、三種の神器なのである。

そもそも実際の儀式に使われるのは三種の神器の「形代」(レプリカではなく神器に準ずるもの)であり、実物については祭主たる天皇自身でさえ実見を許されていないという。このことからも、実物が現存しているかどうかは確かめようもない。

* 伊勢神宮の神体として祀られている八咫鏡は古来のものが現存しているといわれる。御桶代と呼ばれる入れ物に入って祀られており、神宮式年遷宮の際には、夜間、人目に触れぬよう白布で覆った神体を移御するための行列が組まれて新しい本殿に移される(一説に、伊勢の八咫鏡は式年遷宮と同時に壊され代替わりを行っているというが、この説は論拠不明)。
* 宮中三殿の賢所に八咫鏡の形代としての神体の鏡が祀られているが、これは火災等により焼けた記録がある。現在皇居の賢所には、2個の神体の御桶代があり、ひとつは火災等で焼けたものをそのまま御桶代を新造して安置している。もうひとつは火災で焼けた後で用意された代用品の鏡が入っている[要出典]。これらは源平の壇ノ浦の戦いにおいては回収された。
* 熱田神宮に祀られている天叢雲剣は古来のものが現存しているとされるが、一説には、平氏滅亡に際し海に没したとされていることから、三種の神器の中で現存しない物であるとも言われている。1945年8月21日から同年9月19日までの間、アメリカ軍占領に備えるとして、飛騨一宮水無神社に仮遷座された。
* 皇居の神剣(天叢雲剣の形代)は、源平の壇ノ浦の戦いにおいて、二位の尼が安徳天皇を抱き腰に神器の剣を差して入水したため一緒に水没したが、この剣は神剣そのものではなく形代であったため、後に改めて形代としての剣を伊勢神宮の神庫から選び出し、それが現在皇居に存在している。
* 勾玉は、源平の壇ノ浦の戦いにおいて、二位の尼が安徳天皇を抱き勾玉の箱を奉じて入水したが、その際に箱ごと浮かび上がり、入水を目撃し急ぎ漕ぎ寄せた源氏方によって回収された。この勾玉は古代のものが今も皇居に現存しているとされる。
* 福岡県北九州市小倉南区に鎮座する蒲生八幡神社には、高浜浦の岩松というものが海に沈んだ鏡・勾玉を拾い上げたという記録が残る。

関連項目

* レガリア
* 絃上
* 賢所
* 賢所乗御車
* 正直
* 皇室経済法
* 壺切御剣
* 朱器台盤
 
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