2011年10月15日の伊曽乃神社祭礼 宮出しでの吉原三本松だんじり(屋台・楽車)です。

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西条祭り 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
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西条祭り 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
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西条祭り 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
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西条祭り 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
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西条祭り 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
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西条祭り 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 吉原三本松だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
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●豆知識●

●満願寺 (須賀川市)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E9%A1%98%E5%AF%BA
_%28%E9%A0%88%E8%B3%80%E5%B7%9D%E5%B8%82%29

満願寺(まんがんじ)は、福島県須賀川市に所在する日蓮正宗の寺院。山号は法守山(ほうしゅさん)。

起源と歴史

1303年(乾元2年) - 建立される。開基は日蓮正宗第3祖日目上人の弟子である日尊師。
2003年(平成15年) - 創立700周年法要が行われる。

所在地

福島県須賀川市守屋字里98

寺院周辺

ローレルバレイカントリークラブ
白方郵便局
須賀川市立白方小学校

交通アクセス

東北自動車道須賀川インターチェンジより車で15分。郡山南インターチェンジより車で10分
東北本線須賀川駅から車で20分

関連項目

日蓮正宗寺院一覧
 
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 2009年5月17日に撮った、中山川大橋付近のサギのコロニーのチュウサギ(中鷺)です。

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西条市の野鳥 中山川大橋 鷺のコロニーのチュウサギ(中鷺) 愛媛県西条市小松町

西条市の野鳥 中山川大橋 鷺のコロニーのチュウサギ(中鷺) 愛媛県西条市小松町 2009年5月17日
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●豆知識●

●二階堂氏(にかいどうし)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%9A%8E%E5%A0%82%E6%B0%8F

二階堂氏(にかいどうし)は、武家の一氏族。特に陸奥国の岩瀬郡を支配し須賀川城を居城とした戦国大名が著名。

二階堂氏
家紋
三つ盛亀甲に花菱
本姓 藤原南家為憲流
工藤氏流
家祖 二階堂行政
種別 武家
出身地 鎌倉永福寺周辺
主な根拠地 陸奥国岩瀬郡
支流、分家 薩摩二階堂氏(武家)

概説

二階堂氏は藤原姓で、南家藤原武智麻呂の子孫を称している。工藤行政が文官として源頼朝に仕え、二階堂が存在した鎌倉の永福寺周辺に屋敷を構えたので二階堂氏を称したという。行政には行光と行村の二人の子がいた。行光は鎌倉幕府の政所執事に任命され、一時親族の伊賀光宗が任じられた以外は二階堂氏から同職が補任される慣例が成立した。当初は行光を祖とする「信濃流」と呼ばれる一族が執事職を占めていたが、鎌倉時代中期に信濃流嫡流の執事の相次ぐ急逝によって信濃流庶流や行村を祖とする「隠岐流」を巻き込んだ執事職を巡る争い[1]が発生し、鎌倉時代末期には信濃流の二階堂行貞の系統と隠岐流の二階堂行藤の系統が交互に執事の地位を占め、前者は室町幕府でも評定衆の地位にあった。[2]

二階堂氏の子孫は実務官僚として鎌倉幕府、室町幕府に仕え、その所領は日本全国に散在しており、多くの庶子家を輩出した。
須賀川二階堂氏

鎌倉時代の二階堂氏から須賀川二階堂氏へ至る詳しい系譜は明らかではない。

文安元年(1444年)頃、鎌倉から二階堂為氏が須賀川に下向し、命令に従わなくなった須賀川代官二階堂治部大輔を討ち、須賀川城に入ったという。この為氏が須賀川二階堂氏の初代当主ともいわれている。

天文11年(1542年)に勃発した天文の乱と呼ばれる伊達氏の内訌に端を発した大乱では、伊達稙宗の娘婿二階堂照行は稙宗方となっている。

永禄年間(1558年から1570年)になると、度々蘆名氏に攻められ、二階堂盛義は息子を人質として送り講和した。

盛義の死後当主となった二階堂行親は夭折し、その跡は盛義の未亡人であり、伊達政宗の伯母にあたる阿南の方(大乗院)が継いでいた。そのため政宗も幾度となく降伏を薦めたが、阿南の方はこれを頑強に拒否。天正17年(1589年)10月26日政宗に攻められて、須賀川城は落城した。阿南の方はその後政宗を嫌って甥の岩城常隆を頼り、常隆の死後は佐竹義宣の元に身を寄せた。佐竹氏が出羽に移封されると病のため須賀川に留まることになり、1602年に62歳で没したという。
薩摩二階堂氏

薩摩国の戦国時代の有力国人で後に島津氏家臣となった二階堂氏は、この一族の一部が鎌倉時代末期に所領の一部のあった薩摩国阿多郡(現鹿児島県南さつま市)に下向以後土着した流れで、後にこの系統から二階堂進を輩出している。

また、嫡流を称する田布施郷士の二階堂氏と分流の加治木郷士の二階堂氏は島津綱貴の側室を輩出した縁で城下士に転籍し、後に家老などの重役を輩出するようになっている。

脚注

^ 『鎌倉年代記』裏書によれば、正応3年(1290年)正月、鎌倉において当時の政所執事二階堂行忠の嫡孫・行貞に対する暗殺未遂事件が発生したという。当時、行忠は高齢(正応3年に死去し、行貞が執事職を世襲)で、その後継者の巡る事件とみられている。
^ 細川重男「政所執事二階堂氏の家系」(所収:鎌倉遺文研究会 編『鎌倉遺文研究2 鎌倉時代の社会と文化』(東京堂出版、1999年) ISBN 978-4-490-20375-2)
^ 清水谷公知の子。

外部リンク

鎌倉幕府政所執事
二階堂氏
 

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 2011年10月16日の伊曽乃神社祭礼 後夜祭での西新町だんじり(屋台・楽車)です。

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西条祭り2011 西新町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店

西条祭り2011 西新町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店 愛媛県西条市若草町 2011年10月16日
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西条祭り2011 西新町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店

西条祭り2011 西新町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店 愛媛県西条市若草町 2011年10月16日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


西条祭り2011 西新町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店

西条祭り2011 西新町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店 愛媛県西条市若草町 2011年10月16日
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●豆知識●

●札幌市時計台(さっぽろしとけいだい)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5
%B8%82%E6%99%82%E8%A8%88%E5%8F%B0

札幌市時計台(さっぽろしとけいだい)は、北海道札幌市中央区北1条西2丁目にある建築物である。国の重要文化財。正式名称「旧札幌農学校演武場(きゅうさっぽろのうがっこうえんぶじょう)」、通称「札幌時計台(さっぽろとけいだい)」。単に「時計台」と呼ばれることもある。

概要

三角屋根の上に大時計を載せた特徴的な外観の建築物である。設計者は札幌農学校2代目教頭であったウィリアム・ホイーラーであり、バルーンフレーム構造の木造2階建(時計部分の塔屋を除く)で、現在は1階が展示室、2階が貸ホールとなっている。高さ19.825m、延面積約760 m^(2)。かつては札幌市の図書館として使われていたこともある。敷地及び建物は札幌市が管理運営しており、北海道庁赤レンガ庁舎と並び、札幌市中心部の有名観光スポットであり、札幌市のカントリーサインのデザインとしても使用される札幌市の象徴的建物である。また道外では札幌ラーメンの店の看板や北海道観光のポスターに多用されるなど、札幌のみならず北海道の象徴とされる例も多い。北海道日本ハムファイターズの応援歌の歌詞にも使われている。
略史

1878年10月16日 - 演武場(武芸練習場・屋内体育館)として建設された。場所は札幌農学校敷地内で現在の位置より若干北に位置していた。
1881年 - 鐘楼に時計が設置された。
1898年 - 有島武郎の『星座』に大時計の鐘の音が描かれた。
1903年 - 札幌農学校が現在の北海道大学所在地に移転した。
1906年 - 札幌区により買取され、現在の場所に移設された。
1911年 - 図書館として開放された(~1966年)。
1922年 - 高階哲夫が『時計台の鐘』を作詞作曲した。
1926年 - 所有が札幌市に移転した。
1970年 - 国の重要文化財に指定された。
1995年 - 大規模な修復工事が行われた。
2009年8月 - 機械遺産32番に認定。

時計

建設当初は大時計を設置せず、鐘楼に工部省東京工場製の鐘が吊るされていた。綱を引いて鐘を鳴らす仕組みだったが、時報の正確性に欠くことや振動により実験に支障をきたすことから1881年6月に塔部分を新築し、ハワード製の時打重錘振子式四面時計(製造番号738)が設置された。これは重りの力を利用した振り子式で、4日に一度は運用針と打鐘用の二つの重りを吊るしたワイヤーをハンドルを使い人力で巻き上げねばならないが、重さはそれぞれ50㎏と150㎏にもなる上、機械に負担が掛からぬよう2時間ほど掛けてゆっくりと巻き上げる必要がありかなりの労力を要する。 今でこそ大切に管理されているが、かつては時計台の価値が十分に理解されず故障しても放置されていた時代があった。1933年時計台の100m北で時計店を営んでいた井上清は、長期間止まったままになっている時計のことが気になり市に修理を申し出たが、予算不足を理由に断られたためボランテイアで保守整備を行うことを決意し作業を始めた。一ヶ月の時間を要し、錆びを取り部品を丁寧に分解修理し時計の機能を回復させた。 井上はほぼ毎日時計台に通い永年に渡り重りの巻上げを含む時計の保守管理を続けたが、1982年に息子の和雄(1947年から父の時計店で働いていた)が市の非常勤職員に採用され、清の仕事を引き継いだ。2009年からは井上和雄の指導を受けた札幌市友会の専任職員が保守管理を行っている[1]。
観光名所としての時計台

現在は高層ビル群に囲まれている。時計台の向かいのビルの2階がテラスとなっており、時計台を正面より撮影できる。

鐘の音も高層ビルに阻まれて、現在は時計台周辺でしか聞こえないが、市内の小学校などでは、時刻によって録音された鐘の音を鳴らしている。またSTVラジオでは、平日の午前6時から8時と夕方4時に、正時の時報音に代わって、札幌時計台の鐘の音を生中継で放送している。

非公式キャラクターとして時計大臣というのがあり、これはさっぽろテレビ塔の非公式キャラクター「テレビ父さん」の仲間に当たる。

周囲をビルに囲まれており、その景観から沖縄県の守礼門、高知県の播磨屋橋と並び日本三大がっかりと称されることもある[2][3]。
アクセス

札幌市営地下鉄大通駅から徒歩5分(市役所本庁舎北隣)

脚注
[ヘルプ]

^ 中国新聞2010年12月1日掲載
^ 「三大がっかり - 卓上四季 -」 北海道新聞 2007年5月28日付け
^ 【細胞分裂 都市の風景】札幌市時計台 朝日新聞 2009年01月09日付け

関連項目

ハワード (時計) - 機械を製作したメーカー
北海道の観光地

外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、札幌市時計台に関連するメディアがあります。

札幌市時計台
 

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 2011年10月16日に撮った愛媛県新居浜市昭和通り4丁目のタカハシ紳装店 TASTY TAKAHASHIです。

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新居浜 タカハシ紳装店 TASTY TAKAHASHI 昭和通り

 昭和通りのタカハシ紳装店 TASTY TAKAHASHI
新居浜 タカハシ紳装店 TASTY TAKAHASHI 昭和通り 愛媛県新居浜市昭和通り4丁目 2011年10月16日
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新居浜 タカハシ紳装店 TASTY TAKAHASHI 昭和通り

 昭和通りのタカハシ紳装店 TASTY TAKAHASHI
新居浜 タカハシ紳装店 TASTY TAKAHASHI 昭和通り 愛媛県新居浜市昭和通り4丁目 2011年10月16日
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●豆知識●

●北海道庁旧本庁舎(ほっかいどうちょうきゅうほんちょうしゃ)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5
%BA%81%E6%97%A7%E6%9C%AC%E5%BA%81%E8%88%8E

曖昧さ回避 この項目では、かつて北海道庁本庁舎であった建築物について記述しています。現在の北海道庁本庁舎については「北海道庁舎」をご覧ください。

北海道庁旧本庁舎(ほっかいどうちょうきゅうほんちょうしゃ)は、かつて北海道庁の本庁舎として建築された煉瓦造りの西洋館(国の重要文化財)である。「旧道庁」や「道庁赤レンガ庁舎」、「赤レンガ」などと呼ばれ、親しまれている。

館内は北海道開拓関係資料を展示・保存する北海道立文書館等として一般に公開されているが、一部は隣接する現道庁の会議室として現在でも使用されている。北海道(道庁)にとっての象徴的存在であり、広報番組などのタイトルにしばしば「赤レンガ」が用いられている。道庁前のイチョウ並木は大正14年、勅任技師名井九介(みょういくすけ)の指導により植えられたもの。

建築物の詳細

所在地 - 北海道札幌市中央区北3条西6丁目
竣工 - 1888年(明治21年)
重要文化財指定年 - 1969年(昭和44年)
設計 - 北海道庁土木課(平井晴二郎)
構造 - 煉瓦造 地上2階地下1階
デザイン - アメリカ風 ネオバロック様式

沿革
明治期の北海道庁舎

1888年(明治21年)- 赤れんが庁舎完成
1896年(明治29年)- 八角塔・換気筒撤去
1909年(明治42年)- 赤れんが庁舎火災
1911年(明治44年)- 赤れんが庁舎復旧工事完了
1967年(昭和42年)- 赤れんが庁舎所在地が国の史跡指定
1968年(昭和43年)- 八角塔・換気筒などの復元工事完了
1969年(昭和44年)- 赤れんが庁舎が国の重要文化財に指定

館内の施設

北海道立文書館(展示室、閲覧室、文書庫、事務室)
観光情報コーナー
北海道の歴史ギャラリー(北海道開拓記念館)
樺太関係資料館
赤れんが北方領土館
記念室(旧北海道庁長官室)
会議室

エントランスホールと階段

1階廊下

2階廊下

正門

関連項目

北海道・東北の史跡一覧
歴史主義建築

外部リンク

「赤れんが庁舎の紹介ページ」 北海道総務部総務課
国指定文化財等データベース
北海道の公式ホームページ
北海道立文書館
赤れんが北方領土館
北海道開拓記念館
 

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 2011年10月16日、新居浜太鼓祭り2011 昭和通り夜太鼓での西町太鼓台です。

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昭和通り夜太鼓 西町太鼓台 新居浜太鼓祭り2011 愛媛県新居浜市

 昭和通り夜太鼓での西町太鼓台
昭和通り夜太鼓 西町太鼓台 新居浜太鼓祭り2011 愛媛県新居浜市 2011年10月16日
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昭和通り夜太鼓 西町太鼓台 新居浜太鼓祭り2011 愛媛県新居浜市

 昭和通り夜太鼓での西町太鼓台
昭和通り夜太鼓 西町太鼓台 新居浜太鼓祭り2011 愛媛県新居浜市 2011年10月16日
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昭和通り夜太鼓 西町太鼓台 新居浜太鼓祭り2011 愛媛県新居浜市

 昭和通り夜太鼓での西町太鼓台
昭和通り夜太鼓 西町太鼓台 新居浜太鼓祭り2011 愛媛県新居浜市 2011年10月16日
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 2011年10月16日に撮った愛媛県新居浜市若水町2丁目6-5のザ・ダイソー マルナカ若水店です。

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新居浜 ザ・ダイソー マルナカ若水店 愛媛県新居浜市若水町2丁目

 昭和通りのザ・ダイソー マルナカ若水店
新居浜 ザ・ダイソー マルナカ若水店 愛媛県新居浜市若水町2丁目6-5 2011年10月16日
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●豆知識●

●株式会社大創産業(だいそうさんぎょう)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%89%B5%E7%94%A3%E6%A5%AD

株式会社大創産業(だいそうさんぎょう)は、ザ・ダイソーを運営する企業である。2010年現在、国内に約2,570店舗・日本国外の25か国に564店舗を展開している[1]。化学薬品を製造しているダイソー株式会社、化学メーカーの株式会社ダイゾーとは関係ない。

株式会社大創産業
Daiso Sangyo Inc. 種類 株式会社
略称 ザ・ダイソー
本社所在地 〒739-8501
日本の旗
広島県東広島市西条吉行東一丁目4番14号
設立 1977年(昭和52年)12月[1]
業種 小売業
事業内容 ザ・ダイソーのチェーン展開[1]
代表者 矢野博丈(代表取締役社長)
資本金 27億円[1]
売上高 3,414億円(2010年3月)[1]
従業員数 1,000名
決算期 3月
主要子会社 大創出版
外部リンク www.daiso-sangyo.co.jp

概要

設立当時、「会社の規模はまだまだ小さいけど、名前だけは大きな物にしよう」という意気込みから、「大きく創る」を「大創」としたのが社名の由来である[2]。

元々はスーパーマーケットの駐車場に店舗を構える、移動販売・露天方式の100円ショップを運営していた。1980年頃の100円ショップは、問屋からすべての商品を70円以下で仕入れて100円で売るという状態であったことから商品の質にも限界があり、当時主婦客の一人が「安物買いの銭失い」とつぶやくのを創業者であり社長である矢野博丈が目の当たりにし、それ以来、矢野は仕入れのスタイルを変え、時には98円で仕入れた商品を100円で売ることもあるなど、売価100円の範囲で可能な限り質にこだわった商品構成に変更したことにより「矢野の100円ショップは商品がいい」との評判によって、日本全国から引き合いが増えるようになった[3]。スーパーマーケットのオーナーからテナントでの出店を誘われたことが、現在のザ・ダイソーのルーツとなる。100円商品は、安価だが品質は劣るという先入観を払拭するため、仕入れ原価が100円に近いものや原価割れしている商品も100円として販売する手法を取った。また、テナント形式の店舗により、顧客はいつでも来店して買い物することができ、商品に問題があった場合は店舗にクレームを申し入れられるようになったため、移動販売に比べて格段の信頼を得ることにもつながった。それらの理由により、屋内の店舗形式による100円ショップを展開していく大きな原動力となった。

1991年3月、同社初めての直営100円均一ショップを、香川県高松市の丸亀町商店街内に開店する[4]。

バブル崩壊後の平成不況時代(失われた10年)において、消費者の購買意欲が著しく低下している経済状況が、大創産業を急成長させる大きなチャンスとなり、安価な商品を求める当時の消費者のニーズに見事に応える結果となった。

また、生活に関わる雑貨品を中心に、多岐にわたるジャンルの商品を陳列することによって、「100円ショップ=多数のジャンルの商品がある」とのイメージを付加することにもなった。100円という安価の魅力の他に、一度の来店で多様なジャンルの雑貨が購入できる利便性が、来店者数増加・売り上げ拡大の要因ともなる。

付加価値の高い100円商品を多く揃えられた背景には、平成大不況時代において商品の原価や原材料の市中価格は著しい低水準価格であったことが要因である。この経済状況の他に、製造メーカーや卸売業者から大量の商品や商材を、現金取引で行うことにより、通常の取引よりも仕入れコストの額を抑えていたことも要因である。

そして、積極的な出店を展開し、豊富な商品の品揃えの中で100円均一というスタイルが、近所の評判やメディアを通じて知名度を一気に上げ、ザ・ダイソーは全国区レベルの小売業に成長する結果となった。絶大なる知名度と大不況時代の国民からの支持により、売り場面積1,000 - 2,000坪超の超大型店舗や、アジアやアメリカ合衆国を中心とした日本国外への出店も実現した。

製造メーカーが生産した商品でも、製造メーカー名を伏せて大創産業の社名のみと自社のロゴ(「素材発信」や「ザ○○」など)を明記して自社オリジナル商品仕様にすることにより、単なる小売業ではなく商品開発・管理が特化している企業となり、消費者からは「ダイソーのオリジナル商品」の呼称も多く見受けられるようになり、商品開発力をも持ち合わせる店舗として捉えられることにもなった。

バブル崩壊後の平成不況時代の末期ごろから、「高額商品」という呼称で100円以上の商品の販売が開始された。当初は150円や200円などの、従来の100円商品に多少の付加価値を加えた程度の商品が多く、100円ショップの概念を打ち壊して批判を受けたり疑問を抱かれる不安材料があったものの、100円ショップブームが終焉して経営不振になることを懸念したため、脱・100円ショップ路線を模索する形で実施に踏み切った。これは創業者であり社長である矢野の創業以来の考えであった。

結果的には極端な来店者数の減少を招くことなく、豊富な商品ラインナップにより来店する客が多いことを機軸にして、高額商品を自然な形で定着することができた。
沿革

1972年(昭和47年) - 矢野博丈が家庭用品の販売を目的として矢野商店を創業[1]。
1977年(昭和52年) - 株式会社大創産業として法人化[1]。
1987年(昭和62年) - 「100円SHOPダイソー」の展開に着手[1]。
1997年(平成9年) - 通産大臣賞「貿易貢献企業賞」を受賞[1]。
2001年(平成13年)- 2009年(平成21年) - 台湾をはじめ、世界各国に出店[1]。

取扱商品
商品アイテム数

取り扱いアイテム数は数十億点に及ぶと顧客にアピールしている。加えて新商品販売についても積極的にアピールしている。豊富なバリエーションの商品陳列により、再来店しても飽きることなく、新鮮味を帯びた店舗雰囲気の維持に意欲的である。
品質管理

100円商品の特徴である耐久性・品質の劣化等を抑えるために品質管理や変更も積極的に行われる。そのために店舗のパート・アルバイトスタッフは、取り扱い商品について客から寄せられた意見・要望、または自身が気づいた点を商品情報として記入することを業務の中で必須項目とされ、本社から週に一度の提出を求められる。
高額商品

税抜き150円以上の商品は「高額商品」として扱われ、300円までは50円刻み、以降は100円刻みとなる(表記した価格はいずれも税抜き価格)。高額商品の登場や拡大によって、日常生活に関わる雑貨類の取り扱い領域が拡大した。

値札や価格表示がない商品は原則として100円商品となり、高額商品には○○円商品であることを示すラベルや値札タグを商品に取り付けている。これらのラベル・タグは、赤地に黄色・白色の書体でおおよそ統一されている。
出版物

大創 出版(或いは創美出版)として、冊子形態の書籍を刊行し、店内で販売している。

クロスワードマガジン Vol.1 - 16
パズルランド Vol.1 - 14
パズルワールド Vol.1 - 26
クロスワードチャレンジ Vol.1 - 15
漢字&ナンプレチャレンジ Vol.1 - 5
ダイソー懸賞パズルマガジン Vol.1 -
ダイソー懸賞クロスワードマガジン Vol.1 -
ダイソーコミックシリーズ(絶版)
ダイソーミステリーシリーズ(絶版)
ダイソーミニ辞典シリーズ
ダイソー小説シリーズ(絶版)

店舗

出店店舗の詳細は公式サイト「店舗情報」を参照。
面積1,000坪以上の店舗

2,000坪以上の店舗は店名に「ギガ」を冠する。
地域名 店舗名(面積)
北海道

ウイングベイ小樽店(1,000坪)
フレスポ帯広稲田店(1,000坪)

東北地方

イオンモールつがる柏店(1,061坪)

関東地方

ギガ船橋店(2,000坪)
ギガ町田店(1,600坪)
カンケンプラザWOW太田店(1,250坪)
フレスポ八潮店(1,209坪)
マルエツ稲毛店(1,000坪)
アルカキット錦糸町店(1,000坪)
オーケーストア藤沢店(1,000坪)

中部地方

パワードーム半田店(1,000坪)

近畿地方

つかしん店(1,156坪)
レインボープラザ金岡店(1,056坪)
イズミヤ泉佐野店(1,000坪)

中国地方

徳山東インター店(1,094坪)

四国地方

該当なし

九州・沖縄地方

大牟田北店(1,250坪)

並列店舗
ダイソー&アオヤマ
株式会社青五
Seigo Co.,Ltd. 種類 株式会社
略称 ダイソー&アオヤマ
本社所在地 〒721-0965
日本の旗
広島県福山市王子町二丁目14番38号
青山王子ビル1F
設立 1999年(平成11年)6月
業種 小売業
事業内容 ダイソー&アオヤマ 100YEN PLAZAのチェーン展開
代表者 福永兼一(代表取締役社長)
資本金 2億円
売上高 179億円(2009年2月28日)
従業員数 社員:130名
パート・アルバイト:1,334名
決算期 毎年2月
主要株主 青山商事 40%
大創産業 35%
青山理 25%
外部リンク www.100yenplaza.com

ダイソー&アオヤマ 100YEN PLAZAは、紳士服の量販店「洋服の青山」を運営する青山商事と、大創産業が合弁で設立した100円ショップ。株式会社青五(せいご)が運営している。社名は青山商事創業者の青山五郎に由来している。

2009年7月現在、北海道から沖縄県までの各地に青山併設店舗、青山の不採算店舗をリニューアルした単独店舗など141店舗を展開している。

取り扱い商品は直営のザ・ダイソーと同一であるが、100円超の高額商品は原則として取り扱っていない。ただし売り場のレイアウト方法は直営店と趣が異なり、陶器やグラスなどの陳列量が比較的多かったり、生活消耗品などの雑貨が多いなど、バラエティあふれる豊富さを重視するよりも、主婦を意識した生活密着型の店舗であることが特徴である。
出店地域

北海道 - 19店
東北地方 - 14店
関東地方 - 18店
北陸地方 - 7店
中部地方 - 17店
近畿地方 - 9店
中国地方 - 18店
四国地方 - 8店
九州地方 - 31店(うち沖縄県 - 7店)

ダイソー&スピード

近畿地方および関東地方ではやまや関西[5]との提携による「ダイソー&スピード」と称するディスカウントスーパーマーケットとの並列店舗がある。
発売元がダイソー(大創産業)になっている商品について

パッケージが製造会社名の入ったものではなくてダイソー独自の商品番号とダイソー専用パッケージに入って販売されている商品の一部は、ダイソー以外の100円ショップ(セリア、キャンドゥ、ミーツ、シルクなどの有名な店舗や全国展開していない業者の店舗)では、製造元企業の名前が入ったパッケージで販売されていることがある。一例として、丸七社の小物電化製品(100円販売のランタン型懐中電灯やヘッドフォンなど)や、サナダ精工株式会社の調理器具類(プラスチック製ボールや食品用密閉容器など)などが挙げられる。

脚注
[ヘルプ]

^ a b c d e f g h i j 大創産業. “会社概要”. 2010年1月25日閲覧。
^ ダイソー豆知識(ダイソー公式サイト)。なお、社名に「創」の字があるために、創価学会との関連があるのではないかとの噂が一部であるが、会社は取材に対してこれを明確に否定している(学会員も親近感!? "学会系"と噂の企業を直撃!(前編) サイゾー 2008年6月9日)。
^ ダイソー「100円ショップ」躍進の秘密に迫る--その1 富士通 2000年9月6日
^ 会社概要
1号店が手狭になったため、至近にあった家電量販店エイコー高松店跡に移転オープンし、店舗名も「高松中央店」となった。なお、エイコーはデンキのダイナマイトの前身となる家電販売会社である。その後も外壁に当時のロゴ跡が残っている。元1号店はしばらくの間後述する高額商品のみを扱う店舗として営業していたが、のちに閉店した。
^ これまで、株式会社スピードが運営していたが2010年1月1日に楽市株式会社に吸収合併して商号変更

関連項目

ザ・ゲームシリーズ
福山通運
ほぼ100円ショップ - テレビ番組『はねるのトびら』内のコーナーで、「ダイタイソー」という名のパロディ店が登場する。また、100円に見えない100円商品を提供している。

外部リンク

大創産業
大創出版
ダイソー&アオヤマ 100YEN PLAZA
プロフェッショナルの唯言・矢野博丈
 

テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真




 2011年10月15日の伊曽乃神社祭礼 宮出しでの下町中だんじり(屋台・楽車)です。

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お祭り写真集は右側のリンクからご覧ください
最近は一日に4~8ページぐらい、お祭りと他の写真を交互にアップしていますので、その日の新着ページは、
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西条祭り 下町中だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 下町中だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


西条祭り 下町中だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

西条祭り2011 下町中だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


西条祭り 下町中だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し

 丈を短くした水引幕の間に人形が見えます。
西条祭り2011 下町中だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 宮出し 2011年10月15日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


●下町中だんじり(屋台・楽車)の人形


西条祭り2011 下町中だんじり 屋台創建30周年式典 愛媛県西条市下町中

 下町中だんじり(屋台・楽車)の人形
西条祭り2011 下町中だんじり 屋台創建30周年式典 愛媛県西条市下町中 2011年10月9日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


西条祭り2011 下町中だんじり 屋台創建30周年式典 愛媛県西条市下町中

 下町中だんじり(屋台・楽車)の人形
西条祭り2011 下町中だんじり 屋台創建30周年式典 愛媛県西条市下町中 2011年10月9日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


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●豆知識●

●興宗寺
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E5%AE%97%E5%AF%BA

興宗寺は、日本各地にある寺院の名称。

福井県福井市松本にある浄土真宗本願寺派の寺院 → 興宗寺 (福井市)
石川県小松市月津町にある真宗大谷派の寺院 → 興宗寺 (小松市)
福岡県福岡市南区寺塚にある曹洞宗の寺院 → 興宗寺 (福岡市)
 

テーマ:祭り/イベント - ジャンル:写真




 2009年5月17日に撮った、中山川大橋付近のサギのコロニーのチュウサギ(中鷺)です。

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西条市の野鳥 中山川大橋 鷺のコロニーのチュウサギ(中鷺) 愛媛県西条市小松町

西条市の野鳥 中山川大橋 鷺のコロニーのチュウサギ(中鷺) 愛媛県西条市小松町 2009年5月17日
NIKON D300 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


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●豆知識●

●関門海峡(かんもんかいきょう)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E9%96%80%E6%B5%B7%E5%B3%A1

関門海峡(かんもんかいきょう)は、本州の下関市(山口県)と九州の北九州市(福岡県)を隔てる海峡。名称は両岸の地名である、馬関(現 下関市)の「関=カン」と、門司(現 北九州市門司区)の「門=もん」を取ったものである(難関という意味の関門ではない)。旧名は馬関海峡(ばかんかいきょう)。最深部は水深47m。

本州と九州を隔てる水路を大瀬戸(おおせと)といい、彦島と本州を隔てる水路を小瀬戸(こせと)または小門海峡(おど)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる壇ノ浦と和布刈の間は早鞆の瀬戸(はやとものせと)という。

一般には大瀬戸の下関と北九州市門司区の間を関門海峡と呼ぶ。なお、海運業界では下関市彦島の周囲を迂回する形で門司区 - 小倉北区 - 戸畑区 - 若松区に抜けるルートが関門航路=関門海峡との認識である。

歴史

約6000年前 - 本州と九州が分断され、海峡が形成される。
1185年(元暦2年/寿永4年)3月25日 - 壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水、平家一門が滅亡。
1612年(慶長17年)5月13日 - 宮本武蔵と佐々木小次郎による巌流島での決闘が行われる。
1863年(文久3年)7月16日 - 長州藩が馬関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を開始、翌年5月の下関戦争(馬関戦争)の原因となる。
1895年(明治28年)4月17日 - 日清戦争の講和条約(下関条約)が海峡に面した割烹旅館「春帆楼」で調印。
1942年(昭和17年)11月15日 - 日本初の海底トンネルである関門鉄道トンネルが開通。
1945年(昭和20年)3月27日から7月11日 - B29による機雷敷設が行われる。総計は約5,000個とされ、日本に投下された機雷の約半数にあたるとされる。
1958年(昭和33年)3月9日 - 関門国道トンネルが供用を開始する。
1973年(昭和48年)11月14日 - 高速道路の関門橋が供用を開始する。
1975年(昭和50年)3月10日 - 新幹線の新関門トンネルが供用を開始する。

交通
関門橋の直下を航行する船舶
両岸を結ぶ小型船(左下)は、行き交う大型船の間を縫って航行している。
陸上交通の一端を担う関門橋
海上交通

工業地帯の集中する瀬戸内海と、東シナ海を挟んで中国や韓国などとの往来には、近傍に適当な海路がないことから関門海峡の通過が不可欠であるなど、重要な航路のひとつとなっている。

一方、海峡の狭さ、潮流の速さ・向き(潮の干満により1日4回潮流の向きが変わる)、船舶通航量の多さ、航路の複雑さ(関門航路は筆記体の「V」の字)から、日本国内に7箇所設置されている海上交通センター「関門マーチス」が置かれている。なお、海峡を通過する船舶は水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられている。

航行に支障になる堆積物の除去と(事故等による)油回収に機動的に対応するために、専用の船舶である「海翔丸」が国土交通省九州地方整備局関門航路事務所に配備されている。

海峡を横断する航路は、本州と九州を結ぶ陸上交通(トンネルおよび橋)が無い頃は主要な交通機関であったが、それらが供用されたのちは両岸を結ぶ限定的な交通として機能している。また、遊覧目的の観光利用も見られる。
陸上交通

海峡の狭さが故に、比較的早い段階から海底トンネルや橋が整備され、現在合わせて4本のトンネルと橋梁が本州と九州をつないでいる。そのはしりと言える1942年の鉄道トンネル開通、1958年の国道トンネル開通に伴って、鉄道や自動車により頻繁に往来が行われるようになった。以降、海峡両岸は強力に結びつけられ、下関市と北九州市ならびに両市の周辺地域は、海峡を跨いだ「関門都市圏」と呼ばれる一つの都市圏を形成するようになっている。

一方、九州への鉄道や道路は関門海峡以外にないため、一度災害や大事故が発生し、鉄道や道路交通が海峡間で使用不能になると、その影響は計り知れない[1]。

関門トンネル
関門国道トンネル - 一般国道(国道2号、歩道トンネルも設置)
関門鉄道トンネル - 在来線(山陽本線)
新関門トンネル - 新幹線(山陽新幹線)
関門橋 - 高速自動車国道

事故

海峡が狭いため、タンカーや貨物船などの事故が頻繁に発生[要出典]する。また、これにより他の船舶の運航に支障をきたす事がある。

国道2号関門トンネルでは、交通事故が発生すると通行止めとなる事があり、この場合は関門橋や関門海峡フェリーなどが迂回路となる。また、関門橋は、強風などの気象条件により通行止めや速度規制が行われることがあるが、同橋が通行止めとなった場合は関門トンネル前後で大渋滞が発生することが多い[要出典]。また、関門鉄道トンネル内で車両故障が発生したことにより同トンネルが不通となる事例や、当該列車内の乗客が長時間にわたり閉じ込められる事例が発生している。

主な事故など

1953年6月28日 - 梅雨前線の影響で大雨となり、関門鉄道トンネルが水没した。死傷者は発生しなかったが、門司駅と下関駅の間は21日間にわたって不通となった。
2005年3月20日 - 福岡県西方沖地震で北九州市で震度5弱、下関市で震度4の強い地震が発生したことから、海峡を横断する全ての陸上交通(関門鉄道トンネル・新関門トンネル・関門橋)が一時不通となった。なお、同年4月20日には同地震の最大余震となる震度4の地震が発生し、本震よりは影響は少なかったものの、下関と門司の間を結ぶ列車のダイヤが乱れた。
2006年1月7日 - 下関駅が放火され、駅舎が全焼する。駅の通信設備も被害を受け、門司駅を発着する山陽本線の列車が小月駅までの間で不通となったほか、同線および日豊本線・鹿児島本線でもダイヤの乱れなどを発生させた。不通となった期間はバスによる代行輸送が行われ、2日後の1月9日に復旧した。※詳細は、下関駅放火事件参照。
2009年10月27日 - 海上自衛隊の護衛艦「くらま」と韓国船籍のコンテナ船「カリナスター」が衝突し、双方が炎上する衝突事故が発生した。

唱歌

1900年(明治33年)に発表された大和田建樹作詞の『鉄道唱歌』第2集山陽九州編では、門司・下関と関門海峡を26番から30番までの5番で歌いこんでいる。なおこの当時山陽本線は私設鉄道の山陽鉄道の路線であり、さらには路線も下関まで開業しておらず三田尻駅(今の防府駅)が終点で、九州へ本州から渡る客はその手前の徳山駅から航路で門司に出ていた。

26.少しくあとに立ちかえり 徳山港を船出して 二十里ゆけば豊前なる 門司の港につきにけり
27.向(むかい)の岸は馬関にて 海上わずか二十町 瀬戸内海(うちうみ)の咽首を しめてあつむる船の数
28.朝(あした)の帆影夕烟 西北さしてゆく船は 鳥も飛ばぬと音にきく 玄海洋(なだ)やわたるらん
29.満ち引く汐も早鞆の 瀬戸と呼ばるる此(この)海は 源平両氏の古戦場 壇の浦とはこれぞかし
30.世界にその名いと高き 馬関条約結びたる 春帆楼の跡といて 昔しのぶもおもしろや

脚注

^ 陸上交通の迂回路となりうる豊予海峡に橋梁またはトンネルを建設する構想があるが実現していない。

[ヘルプ]
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、関門海峡に関連するメディアがあります。

関門港 - 下関港と北九州港(門司港・新門司港・小倉港など)の法令上の総称。特定重要港湾。
巌流島(船島)
唐戸
彦島
壇ノ浦
火の山
門司港レトロ
和布刈(和布刈神社・和布刈公園)
関門海峡花火大会
関門海峡ロープウェイ

外部リンク

国土交通省九州地方整備局 関門航路事務所
第七管区海上保安本部 関門海峡海上交通センター(関門マーチス)
関門海峡航行参考図
 

テーマ:野鳥の写真 - ジャンル:写真




 2011年10月16日の伊曽乃神社祭礼 後夜祭での若草町だんじり(屋台・楽車)です。

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西条祭り2011 若草町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店

西条祭り2011 若草町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店 愛媛県西条市若草町 2011年10月16日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


西条祭り2011 若草町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店

西条祭り2011 若草町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店 愛媛県西条市若草町 2011年10月16日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


西条祭り2011 若草町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店

西条祭り2011 若草町だんじり(屋台・楽車) 伊曽乃神社祭礼 後夜祭 マルヨシセンター西条店 愛媛県西条市若草町 2011年10月16日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


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●豆知識●

●佐田岬半島(さだみさきはんとう
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%94%B0
%E5%B2%AC%E5%8D%8A%E5%B3%B6

佐田岬半島(さだみさきはんとう)は、四国の最も西に位置し、愛媛県伊方町がある半島。三崎半島とよばれることもある。八幡浜港付近から西南西へ、中央構造線(メディアンライン)に沿い長さ約40kmにわたって直線的に突き出しており、北の瀬戸内海(伊予灘)と南の宇和海を隔てている。先端には佐田岬があり、瀬戸内海国立公園に指定、半島腹部は佐田岬半島宇和海県立自然公園に指定されている。国道197号の佐田岬メロディーラインは、山桜の名所。

日本一細長い[1]半島としても知られる。

地形・交通

日本最大の断層である中央構造線の南縁にあたりリアス式海岸をなしており、良港に恵まれ漁業がさかんだが、背後に急峻な山地が迫り平地はほとんどない。このため、道路の整備は遅れ、突端の旧・三崎町までバスが通じたのは1960年代で、それまでは交通は港づたいに結ぶ船舶に頼らざるを得ない「陸の孤島」であった[要出典]。特に半島の北側は季節風の影響を受けがちであるため、航路も発達せず、集落は半島の南側に多い。

半島を縦貫する国道197号は、かつては山腹に沿って眼下に宇和海を臨む形で走っていたため、曲がりくねり、自動車どうしの離合もままならない悪路であり、197をもじって、別名「イクナ」酷道(こくどう)とすら呼ばれていた[2]。しかしながら、半島の尾根を縦走する頂上線(愛称:メロディーライン)が完成し、今日では八幡浜市から三崎港まで1時間もかからなくなった。

松山市への伊予鉄道の特急バスが三崎港から出ている。
地質

地質がもろい地すべり地帯がある。

銅の鉱脈を含んでいる。このため、江戸時代から銅山があり、藩の管理から解放され民間でも鉱山開発が可能になった明治時代前半には、八幡浜市保内町の付近では、柳谷(りゅうこく)銅山などの鉱山開発が盛んに行なわれ、一時は精錬所も設置されていた。精錬所は八幡浜港沖合いの無人島にも設置されていた。鉱害の発生もあり短期間で終わったが、今日ではそれらの産業遺跡が各地に遺されている。
産業

宇和海と瀬戸内海に面し、岬アジ・岬サバやイセエビ、サザエ、テングサ、チリメン加工等で知られる水産や、斜面を段々畑にしたナツミカン栽培が盛ん。

半島の北斜面には四国電力の伊方原子力発電所がある。
風力発電

佐田岬半島は北西に遮る陸地がないため、風況が良く、風力発電のための風車が、旧伊方町西部から旧三崎町東部にかけての稜線上に林立し、独特の景観を構成している。四国では、風力発電に適した風況の良い地域はここ佐田岬半島か、四国カルスト、高知県檮原町付近の四国山地しかないといわれている。伊方町には、四国電力伊方原子力発電所もあり、地元ではエネルギーの町として売り出そうとしている。もともと旧・瀬戸町で精力的に取組み、市町村合併の直前頃から旧・三崎町でも取り組むようになった。旧・伊方町は、原発が既にあるため、風力発電には取り組んでいなかったが、新・伊方町になってからは引き継いで推進している。

脚注

^ 佐田岬の休日
^ 酷道をゆく

関連項目

日本の秘境100選
 

テーマ:祭り/イベント - ジャンル:写真




 2011年11月6日に撮った愛媛県西条市神拝甲487-4のときめき水都市の夜景です。

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西条市 ときめき水都市の夜景 愛媛県西条市神拝甲487-4

 ときめき水都市の夜景
西条市 ときめき水都市の夜景 愛媛県西条市神拝甲487-4 2011年11月6日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


西条市 ときめき水都市の夜景 愛媛県西条市神拝甲487-4

 ときめき水都市の夜景
西条市 ときめき水都市の夜景 愛媛県西条市神拝甲487-4 2011年11月6日
NIKON D7000 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


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●豆知識●

●奥座敷(おくざしき)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%BA%A7%E6%95%B7

奥座敷(おくざしき)とは、主に客間として使う表座敷に対して、家族が起居する部屋である。本来の、住居の奥のほうに位置する座敷という意味から転じて、都市近郊の観光地、温泉地、温泉街を指す言葉としても用いられる。

温泉街

都市近郊の温泉街を指す言葉としても用いられる「奥座敷」だが、元々は一般の立ち入りが限られた環境で、気のおけない間柄の限られた客をもてなす為の場所という本来の意味で用いられていた。例えば、別府の観光開発に尽力した油屋熊八は、1922年(大正11年)に歓楽的な温泉都市別府の亀の井ホテルとは別に、由布岳の麓にある金鱗湖の畔に内外からの著名人を招き接待する私的な別荘(現在の亀の井別荘)を建て、静かな温泉地由布院を「別府の奥座敷」として開発している。

しかし、この言葉の使われ方は時代とともに大きく変化し、まわりに気兼ねなく芸妓らと共に宴会を楽しむことが出来る場であったり、ただ都心の喧騒を離れて落ち着いた時間をすごすことが出来る場であったりと、その性質は変化していく。高度成長期などの歓楽街温泉においては、前者の目的が強い奥座敷が中心であったが、個人客中心になってからは後者の目的の奥座敷が多い。

奥座敷の呼称は、○○の奥座敷、と呼ばれることが一般的である。この○○には、近郊の都市名が入ることが多い。例えば、東京(広義の東京=「横浜や都区部」の意)の奥座敷であれば箱根温泉、青森の奥座敷であれば浅虫温泉など。近郊の都市名に限らず、京阪神の奥座敷と呼ばれる有馬温泉の様に地域名が入ることもある。また、関西の奥座敷と呼ばれる山代温泉や芦原温泉の様に、温泉地から遠く離れた場所の奥座敷と呼ばれることもある。これは交通の便などにより遠方であっても観光客の数の多さにより付いた呼称である。

奥座敷の一覧

札幌の奥座敷:定山渓温泉
函館の奥座敷:湯の川温泉
青森の奥座敷:浅虫温泉
仙台の奥座敷:作並温泉、秋保温泉
新潟の奥座敷:月岡温泉、瀬波温泉
福島の奥座敷:飯坂温泉、土湯温泉
郡山の奥座敷:磐梯熱海温泉
会津の奥座敷:東山温泉
日光の奥座敷:奥日光湯元温泉
東京の奥座敷:熱海温泉、箱根温泉
松本の奥座敷:浅間温泉、美ヶ原温泉
金沢の奥座敷:湯涌温泉
関西の奥座敷:山代温泉、芦原温泉
京阪神の奥座敷:有馬温泉
広島の奥座敷:湯来温泉
九州の奥座敷:杖立温泉
別府の奥座敷:由布院温泉

関連項目
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温泉、温泉街、外湯、温泉番付
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