2012年10月16日、伊曽乃神社祭礼お旅所での朝日町だんじり(屋台・楽車)です。

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お祭り写真集は右側のリンクからご覧ください
最近は一日に4~8ページぐらい、お祭りと他の写真を、ほぼ交互にアップしていますので、その日の新着ページは、
  西条異景トップページから、各ページの一番下にある「NEXT >>」をクリックして順次ご覧ください。

 ■本日 2013年5月31日にアップした新しい記事は下記のリンクから 
   (1) 西条祭り2012 お旅所 朝日町屋台
   (2) あおさぎ
   (3) 西条祭り2004 御殿前
   (4) 漁船
   (5) 花
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西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 朝日町だんじり(屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


      ●私が撮った「2012 伊曽乃神社祭礼御旅所」の写真はここから順次ご覧ください

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      ■今後、以下の2012年の秋祭りを掲載していく予定です。
       今年は多忙で、市外の祭りにはほとんど行けませんでした(涙)
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      ■伊曽乃・石岡神社等の全屋台の胴板などを、ほぼ撮影しましたので順次アップしていく予定です

      ●(10月17日) 渦井川原かきくらべ
      ●(10月16日) 伊曽乃神社祭礼お旅所・御殿前・統一運行、玉津 
        後夜祭(駅前・御殿前・まるよし)
      ●(10月15日) 伊曽乃神社祭礼宮出し、まるなか、石水会、七泰会、伊曽乃川人会、植村会
        石岡神社渡御行列・宮入り
      ●(10月14日) 石岡神社本殿祭、ポッポ橋落成、原之前荒神祭
        伊曽乃神社前夜祭西条駅・フジグラン西条
      ●(10月13日) 氷見前夜祭
      ●(10月 8日) 小松常盤祭
      ●(10月 7日) 禎瑞嘉母神社宮だし、弁天祭り、楢本祭
        加茂神社例祭(福武祭)、橘新宮祭、御所神社祭
        岸陰・北之町上組屋台蔵落成
      ●(10月 6日) 東予パルティ・フジ前、東予秋祭り統一運行
      ●(10月 5日) 東予前夜祭
      ●(9月30日) 山王祭

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●豆知識●

● 待合茶屋
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%85%E5%90%88%E8%8C%B6%E5%B1%8B

待合茶屋(まちあいぢゃや)とは、待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業のこと。待合と略される。茶屋とも略されるが、異なる業態の茶屋との混同に留意が必要である。例えば大坂で茶屋(ちゃや)といえば色茶屋のことである。現在のお茶の葉を売る店は葉茶屋、茶店は水茶屋、掛け茶屋。近松の心中物の「茶店」は皆、色茶屋のことを指す。

料亭、置屋とともにいわゆる三業の一角を占め、主として芸妓との遊興や飲食を目的として利用される。

かつての利用法は寝具が備わっており芸妓や娼妓(送り込み制の場合)と寝ることも使用法の一つにあったが、現在では売春が禁じられていること、時代の変化等によりそのようなことはない。現在では上記の通りに飲食をしたり、芸妓と遊んだりする。

飲食の際は飲み物は備わっているが料理は直接提供できない。したがって仕出し屋などから取り寄せる必要がある。このことから一次会は無論、二次会の会場として使われる場合も多い。

利用については、各地の待合・お茶屋も不況や観光資源化により初めてでも入店できる。京都のお茶屋はトラブルを避けるため特に紹介がなければ入れない、一見さんお断りとする店も多い。

関連項目
ウィキメディア・コモンズには、待合茶屋に関連するメディアがあります。

花街
料亭
芸妓
 
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 愛媛県西条市小松町の中山川大橋付近のサギのコロニーのアオサギ(青鷺)です。

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   (5) 花
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アオサギ(青鷺) 中山川大橋 鷺のコロニー 愛媛県西条市小松町

 アオサギ(青鷺)
アオサギ(青鷺) 中山川大橋 鷺のコロニー 愛媛県西条市小松町 2009年3月15日
NIKON D300 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


      ●私が撮った「アオサギ(青鷺)」の写真はここをクリックして順次ご覧ください

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●豆知識●

●大阪の花街
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%81
%AE%E8%8A%B1%E8%A1%97

大阪の花街(おおさかのはなまち)

本項では大阪における花街の歴史について解説する。

概要

大阪には、江戸時代から新町、堀江、北新地、南地(現在のミナミ)の4つの大きな花街があり、昭和初期まで隆盛を極めていたが、戦後は大阪経済の低迷や後継者難などで凋落が続き、現在「花街」として辛うじて機能しているのは北新地と南地のみである。
大阪の花街の歴史

大阪における花街の歴史は京都の嶋原に模して作られた新町から始まる。商業の町として発展してきた大阪(当時は「大坂」と呼ばれた)には随時して非公認の花街が神社仏閣、芝居小屋の付近で誕生した。現在、北新地、南地の繁華街は江戸時代からの生き残りである。非公認の遊女のいた妓楼は「泊茶屋(とまりちゃや)」と呼ばれた。天保の改革などで複数の花街が整備され、明治に入って数箇所の花街を統廃合して松島遊廓が誕生し、大正に難波新地の火災により飛田遊廓が開設され、今里、住吉などの芸妓のみの花街が誕生していった。
かつての「大阪四花街」
新町

詳細は「新町遊廓」を参照

新町遊廓は大阪最古の花街で、江戸時代には大阪唯一の幕府公認の花街であった。地名の由来は、大阪中の花街を集めて一つの新しい町にしたことから。江戸の吉原、京都の嶋原と並ぶ三大遊廓の一つだったが、娼妓より芸妓の数が上回っていた。嶋原から移った夕霧太夫が主人公の歌舞伎『廓文章』はこの花街が舞台である。

『廓文章』の舞台のひとつである揚屋(現在でいう、料理屋、料亭)の「吉田屋」は大阪大空襲による焼失まで嶋原の「角屋」と共に現存していた。『浪花踊』が上演された新町演舞場は閉鎖されたが、建物は大阪屋本社ビルの一部として残っている。「砂場そば」の発祥の地でもある。
堀江

詳細は「堀江 (花街)」を参照

大阪市西区堀江に花街が存在した。1698年、河村瑞賢が堀江川を掘削した際、現在の北堀江の北半分が花街となった。新町の南側に位置するが、新町に比べ娼妓主体の花街であった。相撲場や人形浄瑠璃の芝居小屋も近くにあり、新町より「庶民性」を強調していた。義太夫芸妓で有名だった。上演演目は『木の花踊』。堀江は明治中期に発生した「堀江六人斬り」事件が有名で、当時、置屋「山梅楼」に在籍していた芸妓の妻吉は楼主である加害者に両腕を切られる被害を受け難を逃れた。彼女は後に出家して大石順教(おおいし・じゅんきょう)と名を改め、福祉活動に貢献した。[1]
南地

詳細は「南地」を参照

通称「ミナミ」として知られている。江戸時代から道頓堀の劇場街とともに発展した。南地には細かく分けて、五つの花街(宗右衛門町・九郎右衛門町・櫓町・阪町・難波新地)があり、それらを総称して「南地五花街」と呼んだ。明治以降は新町や堀江に代わって大阪最大の花街となり、最盛期には芸妓と娼妓を合わせて3000人以上在籍していた。いまはなき「南地大和屋」(2003年、閉店)で有名。上演演目は『芦辺踊』で、現在のOSK日本歌劇団が大阪松竹座で演じる「春のおどり」がその流れを汲んでいる。現在、住居表示に関する法律により古くからの町名が消滅し、残っているのは宗右衛門町のみである。また、日本舞踏家の武原はん、東京新橋の芸妓で出家し尼僧となった照葉こと、高岡智照は南地の芸妓として活躍していた。
北新地

詳細は「北新地」を参照

別名「北陽新地」で曽根崎新地と堂島新地の総称。明治以降は新町・堀江を抜いて、南地に次ぐ地位を占めていた。かつては曽根崎川(蜆川)が流れ、近松門左衛門の『曽根崎心中』の舞台となった。明治後期の北の大火で娼妓は廃止、狭義としての花街となった。上演演目は『浪花踊』。現在、バーやスナックがひしめく高級繁華街として有名になり、従来のお茶屋は一軒となった。
その他の花街(遊廓)
大阪市

松島遊廓
飛田遊廓
住吉新地
南陽新地(現在の新世界・ジャンジャン横丁)
港新地
今里新地
生玉新地

堺市

龍神新地
栄橋新地

大阪府内の花街(遊廓)

貝塚
枚方
信太山
河内長野

大阪花街の特徴

京都や東京の花街と比較すると、大阪の花街は「芸妓」本位の花街(遊廓)と「娼妓」本位の遊廓との共存割合が高く、しかも後発の花街(松島・飛田など)ほど娼妓本位の傾向にあった。江戸から明治、大正、昭和初期のかけて芸妓、娼妓が置屋(妓楼、関西では「屋形」と呼ぶ)からお茶屋、貸席(貸座敷)へ出向く「送り込み」と、直接商売する「居稼」(てらし)という制度が存在していた。しかし、近代における花街の制度の変化に伴い芸妓、娼妓が分離し芸妓のみの花街と娼妓のみの遊廓が生まれてくるようになった。

参考文献

『花街 異空間の都市史』 加藤政洋著、朝日新聞社 2005年

脚注

^ 講談社発行『週刊20世紀』を参考

外部リンク

大和屋女将の語る昭和のサムライたち
 

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 矢野寛一郎氏が撮影した、2004年10月16日の西条祭りでの御殿前の様子です。

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   (2) あおさぎ
   (3) 西条祭り2004 御殿前
   (4) 漁船
   (5) 花
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御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影

 古屋敷だんじり(屋台・楽車)・原之前だんじり(原の前屋台・楽車)
御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影 2004年10月16日


御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影

 市塚だんじり(屋台・楽車)・横黒だんじり
御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影 2004年10月16日


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矢野寛一郎氏
 矢野寛一郎氏
 アコーディオン・写真などを趣味にされ
 2012年にご逝去されました。
 写真は奥さんのご了解でアップさせていただきました。
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      ●「矢野寛一郎氏撮影の祭り写真」はここから順次ご覧ください

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 愛媛県西条市北浜北の西条漁港の陸揚げされた漁船です。

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   (1) 西条祭り2012 お旅所 朝日町屋台
   (2) あおさぎ
   (3) 西条祭り2004 御殿前
   (4) 漁船
   (5) 花
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陸揚げされた漁船 西条漁港 愛媛県西条市北浜北

 陸揚げされた漁船
陸揚げされた漁船 西条漁港 愛媛県西条市北浜北 2010年8月23日
NIKON D300 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


陸揚げされた漁船 西条漁港 愛媛県西条市北浜北

 陸揚げされた漁船
陸揚げされた漁船 西条漁港 愛媛県西条市北浜北 2010年8月23日
NIKON D300 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


陸揚げされた漁船 西条漁港 愛媛県西条市北浜北

 陸揚げされた漁船
陸揚げされた漁船 西条漁港 愛媛県西条市北浜北 2010年8月23日
NIKON D300 + AF-S Zoom-Nikkor 18-70mm 1:3.5-4.5 G ED(IF)


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●豆知識●

●町屋 (商家)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E5%B1%8B_%28%E5%95%86%E5%AE%B6%29

町屋(まちや)とは、町人の住宅のことである[1]。つまり、農家に対し商業や工業を営むための都市住宅である。町家(まちや・ちょうか)ともいい、特に商いの場を兼ねた町屋は商家(しょうか)と呼ばれることもある。あるいは町屋の街並みをさし、商家の街並みは商家町ということもある。宿場における街並みは宿場町と呼ばれ、城下においては城下町と呼ばれる。

概説

歴史的商業地において商人、職人など町人が住み業を営むための建物で、武士が住む武家屋敷に対比され。街並みとしての町屋は表通りまたは横町に面して軒を連ねていた。一般に道路に対して間口が狭く、奥行が深い短冊型の敷地に軒を接して建つ。関西の都市では早くから町屋が普及、短冊型敷地や通り庭などを特徴とし、極端な短冊型の敷地に建てられた家屋は「うなぎの寝床」などと呼ばれ、玄関から部屋が並ぶように奥まで続いていた。京都や金沢などの大都市では特に奥行が深く、通り庭によって各室がつながれる構成になる。
歴史
江戸初期の町屋の例(兵庫県伊丹市 1674年築)

中世、近世には平入の建物であることが多く、中世では通常、平屋で板葺き切妻屋根に土壁の家屋が建てられ、江戸初期には、建ちの低い2階(厨子二階〈つしにかい〉)を備え、袖卯建(そでうだつ)を上げた家屋が標準化し、瓦葺き、漆喰塗籠めの壁を持つ町屋は1600年代末に現れる[2]。厨子二階は、街道沿いに建てられた町屋の表に造られ、大名の往来を上から見下ろすことが失礼に当たるということから居間としてではなく物置として造り、使うことが許可されていた[3]。明治以降は、現在の家屋ほどの天井高の2階をもつ住宅が表通りでも建てられるようになり、三階建の町屋や看板建築も現れた。

今日、町屋が多く残る都市などで町屋を再評価する動きがあり、特に近年では老朽化した町屋を取り壊さずに修復・改装して、自宅や飲食店,土産物屋,宿泊施設などとして再利用するケースも増えている。
構造
通り庭の例

長屋との違いは、長屋が集合住宅であるのに対し、町屋が独立住宅であることである。それは規模の違いにも反映する。入口を入るとすぐに土間で、そこにせいぜい2部屋がついた長屋とは違い、町屋の間口は2間から3間ほどであったものの、奥行は町屋の普及が関西よりやや低調だった江戸でも20間ぐらいは普通にあったといわれる[4]。

表から奥まで「通し土間」という土間を通し、一方に部屋をほぼ一列に並べた間取りが標準的であった。敷地の中央に通り庭(坪庭〈つぼにわ〉)を置くことで、通気性と採光を向上させる一方で、そこに石や植物などを配した庭をつくり[5]、通りに面した「公」の空間と奥の「私」の空間を巧みに区分けすることにも成功している。

脚注

^ 町屋(『大辞泉』)
^ 太田博太郎『【カラー版】日本建築様式史』美術出版社 1999年
^ 三浦正幸著『城のつくり方図典』小学館 2005年
^ 東京都市史研究所編『比較考証 江戸東京古地図散歩』新人物往来社、1999年。
^ 梅原猛『京都発見〈2〉路地遊行』新潮社、1998年。

関連項目

京町家
うだつ
小京都
日本の住宅
歴史町

外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、町屋 (商家)に関連するカテゴリがあります。

京都町屋資料館(京都新聞)
京都町で過ごす(庵の京町家ステイ社)
 

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 愛媛県西条市下喜多川の民家に咲いていたアマリリス(ジャガタラスイセン)です。花の名前などが間違っていましたら教えてくださいね。

アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花

アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花 2013年5月13日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花

アマリリス 愛媛県 西条市 2013年5月13日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


■アマリリス(ヒッペアストルム)

アマリリス(ヒッペアストルム)の科名:ヒガンバナ科
アマリリス(ヒッペアストルム)の学名:Hippeastrum × hybrid
草丈:30cm~50cm
原産地  南アメリカ。
開花期  5月-6月・7月~8月
花の色  赤、ピンク、緑、白。
花言葉  おしゃべり 自尊、誇り 内気の美しさ


アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花

アマリリス 愛媛県 西条市 2013年5月13日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花

アマリリス 2013年5月13日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花

アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 2013年5月13日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花

アマリリス 愛媛県 西条市 2013年5月13日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花

アマリリス 愛媛県 西条市 下喜多川 四国の5月の白色・赤色・橙色の花 2013年5月13日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


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 5月28日、愛媛県西条市の福毘団地の道端にコスモスが咲いていました。インターネットで見ると、暑い日が続き、寒い日がくると秋が来たと勘違いして、狂い咲き(季節外れに花が咲くこと。また、その花。狂い花。返り咲き。)するようです。


狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 福毘団地

狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 福毘団地 四国の5月の赤紫色・白色の花 2013年5月28日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 福毘団地

狂い咲き コスモス 愛媛県 2013年5月28日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 福毘団地 四国の5月の赤紫色・白色の花

狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 福毘団地 四国の5月の赤紫色・白色の花 2013年5月28日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 福毘団地 四国の5月の赤紫色・白色の花

 狂い咲きしたコスモスの葉
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 福毘団地 四国の5月の赤紫色・白色の花

狂い咲き コスモス 愛媛県 西条市 2013年5月28日
NIKON D7000 + Nikon AF MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8 D


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 2012年10月16日、伊曽乃神社祭礼お旅所での常心下組だんじり(中南屋台・楽車)です。

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お祭り写真集は右側のリンクからご覧ください
最近は一日に4~8ページぐらい、お祭りと他の写真を、ほぼ交互にアップしていますので、その日の新着ページは、
  西条異景トップページから、各ページの一番下にある「NEXT >>」をクリックして順次ご覧ください。

 ■本日 2013年5月30日にアップした新しい記事は下記のリンクから 
   (1) 西条祭り2012 お旅所 常心下組屋台
   (2) あおさぎ
   (3) 西条祭り2004 御殿前
   (4) かもめ
   (5) 花
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西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市

西条祭り2012 常心下組だんじり(中南屋台・楽車) 御旅所 伊曽乃神社祭礼 愛媛県西条市 2012年10月15日
NIKON D7000 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


      ●私が撮った「2012 伊曽乃神社祭礼御旅所」の写真はここから順次ご覧ください

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      ■今後、以下の2012年の秋祭りを掲載していく予定です。
       今年は多忙で、市外の祭りにはほとんど行けませんでした(涙)
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      ■伊曽乃・石岡神社等の全屋台の胴板などを、ほぼ撮影しましたので順次アップしていく予定です

      ●(10月17日) 渦井川原かきくらべ
      ●(10月16日) 伊曽乃神社祭礼お旅所・御殿前・統一運行、玉津 
        後夜祭(駅前・御殿前・まるよし)
      ●(10月15日) 伊曽乃神社祭礼宮出し、まるなか、石水会、七泰会、伊曽乃川人会、植村会
        石岡神社渡御行列・宮入り
      ●(10月14日) 石岡神社本殿祭、ポッポ橋落成、原之前荒神祭
        伊曽乃神社前夜祭西条駅・フジグラン西条
      ●(10月13日) 氷見前夜祭
      ●(10月 8日) 小松常盤祭
      ●(10月 7日) 禎瑞嘉母神社宮だし、弁天祭り、楢本祭
        加茂神社例祭(福武祭)、橘新宮祭、御所神社祭
        岸陰・北之町上組屋台蔵落成
      ●(10月 6日) 東予パルティ・フジ前、東予秋祭り統一運行
      ●(10月 5日) 東予前夜祭
      ●(9月30日) 山王祭

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●豆知識●

● 中村喜春
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%96%9C%E6%98%A5

中村 喜春(なかむら きはる、1913年4月14日 - 2004年1月5日)は、随筆家・元花街芸者。

生涯

1913年(大正2年)、山城町(現在の東京都中央区銀座7丁目)に生まれる。 1929年(昭和4年)、新橋の置屋の芸者となり、専門学校で英語を覚え「英語も話せる芸者」として名を果せる。1940年まで芸者を続け、外交官と結婚し、夫と共にインド カルカッタの総領事館へ赴任。太平洋戦争開戦に伴い収容所生活後、1942年(昭和17年)、竜田丸にて帰国、長男を出産するも離婚。

1956年(昭和31年)アメリカに渡り、晩年はニューヨークで過ごす。ニューヨークの自宅にて逝去。

なお、彼女の死後、日本で「偲ぶ会」が開かれた。
著書

江戸っ子芸者一代記(草思社、1983年9月10日)
江戸っ子芸者一代記・アメリカ編(朝日新聞、1993年)
江戸っ子芸者一代記・戦後編
あたしはアメリカが好き
ああ情けなや日本(草思社、1985年6月)
ひたむきな女たち
いきな女たち
いきな言葉、野暮な言葉
男と女の品定め
ころし文句、わかれ言葉
しつけのない国 しつけのできない人びと(海竜社、1998年発売)
忘れかけてるいい言葉 新橋芸者喜春姐さんの言伝て(小学館、2000年6月)
喜春流味なことば(講談社、1997年9月)

CD

中村喜春と小唄メッセンジャーズ

写真展

・菊地艶寿写真展 「1995~1997 中村喜春 This is her life」

外部リンク

中村屋
スマステ・ニッポンヲシロウ!
 

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 愛媛県西条市小松町の中山川大橋付近のサギのコロニーのアオサギ(青鷺)です。

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お祭り写真集は右側のリンクからご覧ください
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 ■本日 2013年5月30日にアップした新しい記事は下記のリンクから 
   (1) 西条祭り2012 お旅所 常心下組屋台
   (2) あおさぎ
   (3) 西条祭り2004 御殿前
   (4) かもめ
   (5) 花
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アオサギ(青鷺) 中山川大橋 鷺のコロニー 愛媛県西条市小松町

 アオサギ(青鷺)
アオサギ(青鷺) 中山川大橋 鷺のコロニー 愛媛県西条市小松町 2009年3月15日
NIKON D300 + NIKON AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)


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●豆知識●

●パターナリズム
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E
3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。日本語では家父長主義、父権主義、温情主義などと訳される。語源はラテン語の pater(パテル、父)で、pattern(パターン)ではない。

社会生活のさまざまな局面において、こうした事例は観察されるが、とくに国家と個人の関係に即していうならば、パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家が個人の生活に干渉し、あるいは、その自由・権利に制限を加えることを正当化する原理である。

概要

「パターナリズム」という用語自体の起源[注釈 1]については、16世紀には「父権的権威(Paternal authority)」という言葉がすでに存在し、それが19世紀後半に「パターナリズム(Paternalism)」という言葉になったという[1]。また、J.S.ミル『自由論』(1859年)の「侵害原理 harm principle」における議論には、今日のパターナリズム論に底通する論点が提示されている[2]。

近年、この用語が英米の法哲学者・政治哲学者のあいだで注目を集めるようになったきっかけは、1950年代、成人間の同意の下での同性愛や売春行為を刑事上の犯罪行為とみなすか否かをめぐって行われた「ハート=デヴリン論争」[注釈 2]であった。

また、医療現場においても、1970年代初頭に、エリオット・フリードソンが医者と患者の権力関係を「パターナリズム」(医療父権主義、家父長的温情主義)として告発したことによって、パターナリズムが社会的問題として喚起されるようにもなった[3]。現在では「患者の利益か、患者の自己決定の自由か」をめぐる問題として議論され、医療現場ではインフォームド・コンセントを重視する環境が整いつつある[要出典][4]。
パターナリズムの類別

パターナリズムの類型については、以下のような類型区分が提起されている[5]。
強いパターナリズムと弱いパターナリズム

この類別は、介入・干渉される者に判断能力、あるいは自己決定する能力があるかないかという点で区分される。強い(硬い hard )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力があっても介入・干渉がおこなわれる場合をいう。他方、弱い(柔らかい soft )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力がなくて介入・干渉がおこなわれる場合をいう。

成熟した判断能力をもつ個人への干渉や介入に反対する、反パターナリズムの論者も、子供や十分な判断能力のない大人への保護は必要であるとしている。そのように弱いパターナリズムを容認する場合でも、「個人の十分な判断能力、自己決定能力」の範囲をどのように見極めるのかといった点で、慎重な検討が必要となる[6]。
直接的パターナリズムと間接的パターナリズム

この類別は、パターナリスティックな介入・干渉を受ける者と、それによって保護される者とが同一であるか否かで区分される。

直接的パターナリズムは、オートバイ運転者のヘルメット装着義務のように、パターナリスティックにその義務を強制される者と、それによって保護される者が同一の場合である。他方、間接的パターナリズムは、両者が同一ではない場合をいう。例えば、クーリングオフ制度のように、保護されるのは一般の消費者だが、パターナリスティックに規制を受けているのは販売業者である場合である[7]。
パターナリズムの典型例
専門家と素人

専門知識において圧倒的な格差がある専門家と素人のあいだでは、パターナリスティックな介入・干渉が起こりやすい。たとえば、医師(専門家)から見れば、世話を焼かれる立場の患者(素人)は医療に関して無知蒙昧であり、自分で正しい判断を下すことが出来ない。その結果、医療行為に際しては、患者が医師より優位な立場には立てない[8]。そうした状況で患者の自己決定権をどのように確保していくかについては「インフォームド・コンセント」の項を参照(あわせて「尊厳死」の項も参照)。
国家と国民

国家がいわば「親」として「子」である国民を保護する、という国家観にもパターナリスティックな干渉を正当化する傾向がみられる[注釈 3]。実際に施行されている事例としては、賭博禁止(刑法186条)などが挙げられる[注釈 4]。こうした立法措置以外にも、官公庁による行政指導や、市町村における窓口業務などにも同様の傾向がみられる[注釈 5]。

国際政治

かつての宗主国と植民地の間には、『白人の責務』(キップリング)や「明白なる天命」論に代表される白人優位神話のもとで“「遅れた」現地住民を「善導」する”として、段階的に民主的制度を導入するといった植民地経営が実施されたりしていた[注釈 6]。これらは一部の有色人種に西洋文明の恩恵を与えたが、同時に盗まれた世代等の歪みをも生んだ。また、今日の先進国と開発途上国の関係にも同様のパターナリスティックな関係が見られる場合がある[要出典]。また明確な「先進国から発展途上国への指導」という構図でなくても年次改革要望書にみられる第2次世界大戦後の米日関係のように一応内政、経済他の面で「先進国」同士であってもその外交力、発言力の差からこのパターナリズムが自ずから発生する場合がある。
パターナリズム批判

国家と個人の関係については、国家が国民の生命や財産を保護する義務を負っているのは当然であるにせよ、少なくとも心身の成熟した成人に対する過剰な介入が、いわば「余計なお節介」であるとして批判が加えられている。

また、表現の自由を重視する立場から、パターナリズムに基づく、有害図書や有害情報などに対する規制に対する批判も存在する。

国民の自由である自己決定権を広く認めるのか、ある程度国家の介入を許容するのかという、根本的かつ巨視的な観点からの検討が必要である。
関連文献

山田卓生 『私事と自己決定』日本評論社、1987年、ISBN 4535576742。
篠崎智・加茂直樹編『生命倫理の現在』世界思想社、1989年、ISBN 4790703533。
フリードソン、エリオット(進藤雄三・宝月誠訳)『医療と専門家支配』恒星社厚生閣、1992年、ISBN 4769907354。(原著は、Eliot Friedson, Professional Dominance : The Social Structure of Medical Care, Atherton Press, 1970)
加藤尚武・加茂直樹編 『生命倫理学を学ぶ人のために』世界思想社、1998年、ISBN 4790706907。
澤登俊雄 『現代社会とパターナリズム』 ゆみる出版、1997年。ISBN 4946509089。
花岡明正、「第1章 パターナリズムとは何か」、澤登俊雄編 『現代社会とパターナリズム』 ゆみる出版、1997年。ISBN 4946509089。

注釈

^ パターナリズム paternarism の「パター pater」の語源は、父親 (father) を意味するラテン語からである(江崎一郎「パターナリズム - 概念の説明 - 」、加藤・加茂編、1998年、65頁)。模様・規範を意味する英語の「パターン (pattern) 」とは無関係である。
^ この「ウォルフェンドン委員会報告」を巡ってハートとパトリック・デヴリン判事の間で戦わされた論争であるためこの名がある。詳しくはハーバート・ハートのLaw, Liberty and Morality, Stanford University Prress,1963および井上茂「法による道徳の強制」、『法哲学研究』3、1972年、有斐閣を参照。
^ パターナリズムに直接言及してはいないが、明治憲法体制下の日本で、天皇を「父親」とし、臣民を「子」とする国家観について、石田雄 『明治政治思想史研究』 未來社、1954年。 NCID BN12136785。、および、石田雄、「家族国家観の構造と特質」、松本三之介編 『明治思想における伝統と近代』 東京大学出版会、1996年。ISBN 4130301012。
^ ジェラルド・ドゥオーキンが挙げているパターナリズムの例のなかで、国家と国民に関係するものとして、オートバイ運転者にヘルメット着用を義務づける法律、自殺を犯罪とする法律、両者の同意を得ている決闘を禁止する法律、などがある(Gerald Dworkin, 'Paternalism' in Rolf E. Sartorius ed., Paternalism, University of Minnesota Press, 1983,p.20)。なお、ドゥオーキンのパターナリズムについての紹介は、中村直美「ジェラルド・ドゥオーキンのパターナリズム論」、『熊本法学』32号、1982年、を参照。
^ 直接パターナリズムに言及してはいないが、市町村などの行政機関の窓口で、クライアント(行政サービスの受け手)に対して「善意の支配」を及ぼす「第一線職員」の動態について分析した研究として、畠山弘文『官僚制支配の日常構造 善意による支配とは何か』三一書房、1989年、ISBN 4380892131 。
^ これについて直接パターナリズムに言及する研究はみあたらないが、一例として、20世紀初頭のオランダ領東インド(現在のインドネシア)で、宗主国のオランダは、現地住民に初等教育の機会を与え、また下級官吏や医師を養成するための専門教育機関の設置した。また、1918年には現地住民の代表を含む植民地議会 (Volksraad) を開設した。これらの諸政策は現地住民の自治能力の育成と、本国から現地政府への権限委譲を目的としていた。これらは「オランダ=白人=キリスト教徒=文明の光が、東インド=有色人=非キリスト教徒=野蛮の闇をはらい、蒙を啓き、文明に導くのだ」との発想に基づいていた(早瀬晋三・深見純生「近代植民地の展開と日本の占領」、池端雪浦編 『東南アジア史Ⅱ 島嶼部』、山川出版社<新版 世界各国史6>、1999年、283頁)。

出典

^ 横山謙一、「パターナリズムの政治理論」 『現代社会とパターナリズム』 ゆみる出版、1997年、166頁。ISBN 4946509089。
^ J.S.ミル(早坂忠訳)『自由論』(世界の名著38『ベンサム、J・S・ミル』)、中央公論社、1967年、224-225頁。
^ エリオット・フリードソン 『医療と専門家支配』 恒星社厚生閣、1992年。ISBN 4769907354。
^ 患者の自己決定とインフォームド・コンセントについては、上村貞美「患者の権利 - インフォームド・コンセントを中心に」、虫明満編 『人のいのちと法 - 生命倫理と法』法律文化社、1996年、58頁、を参照。
^ 以下のパターナリズムの類型については、花岡 1997、中村直美、「パターナリズムの概念」、井上正治; 西山富夫編 『刑事法学の諸相 : 井上正治博士還暦祝賀』 有斐閣、1981年。ISBN 4641040575。、John, Kleinig (1983), Paternalism, Manchester University Press, p. 14, ISBN 0719017033を参照。 なお、クライニッヒの議論については、パターナリズム研究会「紹介 : J・クライニッヒ著『パターナリズム』」(1) - (4)、『國學院法学』25巻1号 - 4号、1987年-1988年、に詳しい。
^ 花岡 1997, pp. 34-35.
^ 花岡 1997, pp. 35-37.
^ 本田裕志「医療におけるパターナリズム」、篠崎・加茂編、世界思想社、1989年、を参照[要文献特定詳細情報]。

関連項目

国親思想
共同体主義(コミュニタリアニズム)
リバタリアニズム
個人主義
自己決定権
愚行権
医療におけるパターナリズム
インフォームド・コンセント
生命倫理学
エホバの証人 - 輸血拒否
安楽死
児童の権利に関する条約
有害情報
有害図書
児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律
青少年保護育成条例
青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律
青少年有害社会環境対策基本法案
人権擁護法案
被害者なき犯罪
モラル・パニック
過干渉

外部リンク

パターナリズム - パターナリズムに関する様々な文献、立場
「Paternalism」 - スタンフォード哲学百科事典にある「パターナリズム」についての項目。(英語)
 

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 矢野寛一郎氏が撮影した、2004年10月16日の西条祭りでの御殿前の様子です。

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   (2) あおさぎ
   (3) 西条祭り2004 御殿前
   (4) かもめ
   (5) 花
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御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影

 吉原三本松だんじり(屋台・楽車)・新町だんじり
御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影 2004年10月16日


御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影

 吉原三本松だんじり(屋台・楽車)・新町だんじり
御殿前 西条祭り2004 愛媛県西条市 矢野寛一郎氏撮影 2004年10月16日


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矢野寛一郎氏
 矢野寛一郎氏
 アコーディオン・写真などを趣味にされ
 2012年にご逝去されました。
 写真は奥さんのご了解でアップさせていただきました。
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      ●「矢野寛一郎氏撮影の祭り写真」はここから順次ご覧ください

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 愛媛県西条市明屋敷にある西条高校周辺のお堀のカモメ(鴎)と自転車です。

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   (2) あおさぎ
   (3) 西条祭り2004 御殿前
   (4) かもめ
   (5) 花
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西条高校 お堀のカモメ(鴎)と自転車 愛媛県西条市明屋敷

 お堀のカモメ(鴎)と自転車
西条高校 お堀のカモメ(鴎)と自転車 愛媛県西条市明屋敷 2009年1月14日
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●豆知識●

● 水揚げ (花街)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%8F%9A%E3%81%92
_%28%E8%8A%B1%E8%A1%97%29

水揚げとは江戸時代から売春防止法施行以前の時代、芸妓遊女が初めて客と寝所にて接することであった。そのとき処女を喪失することになっていた。

その語の由来には

商人が荷物を舟より下ろして初めて店頭に出すことを「みずあげ」と言ったことにちなんだ
万葉時代には処女を「未通女」(おとめ)と呼んだので、未だ男性に逢わない若い女性を「揚げる」ため、「未通揚げ」

等様々な説がある。

遊女の場合禿(かぶろ)が新造となって後初めて客と同衾することであった[1]。遊女は一人前となり事実上の業務スタートとなるが(お客をとるようになる)、芸妓の場合はそれまでの年少芸妓、見習い芸妓の立場から、一人前の芸妓になる通過儀礼的な側面が強かった。それに続いて特定の旦那を持つ、という段階を踏むことが多かった。水揚げに選ばれる客は、その道に熟達した通人(つうじん)のなかから特に財力のゆたかな者が、抱主の依頼に応じたり、その承認のもとに自薦したりしてこの任に当たるのが常であった。

京都の舞妓は、水揚げが済むと、髪型をそれまでの割れしのぶからおふくに結い替えた[2]。水揚げ後の舞妓は、おふくから、勝山、奴島田、舞妓最後の髪型である先笄を経て、芸妓となった[3]。

体を売ることと、芸を売ることが厳しく峻別されていた吉原では、芸者が一人前の芸者になるにあたって、水揚げされることは無かった[4]。

現在、遊女、それに続いての娼妓という存在自体がないが、芸妓は、初めて旦那を持つ場合が(といっても、現代ではほとんどそのようなことはない)事実上の「水揚げ」とされる場合がある。その起源は、初夜権に由来し、民間の類似の風習、その遺風とみなすべき行事は中山太郎『売笑三千年史』にある。また、水祝いと関係があるらしい。

また現在の、京都の舞妓の水揚げは、色事抜きで、割れしのぶからおふくへと髪型を替える、事実上の髷替えとされることがある[5]。 また、舞妓から芸妓になる襟替えにも、色事はともなわない、と、されることがある[6]。

脚注

^ 「傾城の新艘を仕立てて初めて売り出すことをいふ。買い始める人を水上げ客といふ。この名、新艘の女郎を舟に比していひたることなり」畠山箕山『色道大鑑』
^ 三宅小まめ 森田繁子『祇園うちあけ話(PHP文庫、2004年)』69-70頁、杉田博明『祇園の女 文芸芸妓磯田多佳(新潮社、平成3年)』61 頁、相原恭子『京都 舞妓と芸妓の奥座敷(文春新書、平成13年)』184-185頁、安田武「祇園随想」『太陽 '72 6月号(平凡社、1972年所収)』87頁、臼井喜之介 熊谷康次郎 稲岡傳左衛門「座談会 今は昔 祇園の夜話」『太陽 '72 6月号(平凡社、1972年)』98頁、「髷替え」宮川町小糸『宮川町 芸妓さん舞妓さんのページ』 。ちなみにおふくは芸妓では無く、あくまでも舞妓の髪型である。南ちゑ『日本の髪型(紫紅社、昭和56年)』108頁、京都美容文化クラブ『日本の髪型 伝統の美 櫛まつり作品集(光村推古書院、平成12年)』226-227頁、京都上七軒市まめ『舞妓のお作法(大和書房、2007年)』56頁、杉田博明『京の花街[かがい] 祇園(淡交社、2003年)』65頁。また、12・3才にして水揚げを経験していた舞妓もいたという(野坂昭如「一力茶屋宿酔夢」『太陽 '72 6月号((平凡社、1972年))』92頁)。
^ 相原恭子『京都 舞妓と芸妓の奥座敷(文春新書、平成13年)』184-185頁。溝縁ひろし「舞妓さんの持ち物と髪型」『祇をん市寿々(小学館、2000年)』、京都上七軒市まめ『舞妓のお作法(大和書房、2007年)』56頁、岩崎峰子『芸妓峰子の花いくさ(講談社、2001年)』170-171、192頁、杉田博明『祇園の女 文芸芸妓磯田多佳(新潮社、平成3年)』62頁、杉田博明『京の花街[かがい] 祇園(淡交社、2003年)』65頁、「衿替え」宮川町小糸『(宮川町 芸妓さん舞妓さんのページ』、参照。
^ 福田利子『吉原はこんな所でございました(教養文庫、1993年)』96頁、みな子『華より花(主婦と生活社、2009年)』110-112頁、参照。
^ 岩崎峰子『芸妓峰子の花いくさ(講談社、2001年)』170-171頁。なお、「旦那について」宮川町小糸『宮川町 芸妓さん舞妓さんのページ』では、初めて旦那を持つことを水揚げだと定義している。
^ 桐木千寿『愛され上手になる祇園流・女磨き(講談社、2007年)』113頁
 

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