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「四国の祭り、小松スケートボード大会など」はここから 独立行政法人航海訓練所の練習用帆船「日本丸」(2570トン)が2008年7月29日、今治港に18年ぶりに寄港しました。31日にはセイルドリルがありましたので、行ってみました。

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

航海練習船「日本丸」のライトアップ 今治市今治港 蔵敷埠頭 2008.07.31
船尾方向から
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
■私の撮影したイベント関係の写真は、右側のリンクの「イベント - 近隣の催し等」をクリックして順次ご覧ください。

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●豆知識●●帆船「日本丸」が今治に寄港します今治市のホームページより引用させていただきました。
http://www.city.imabari.ehime.jp/kouhou/koho/20080701/010.pdf
今治市では次世代の海事人材育成を促進するため、独立行政法人航海訓練
所帆船「日本丸」を招致します。小・中学生を対象とした行事を行いますが、
市民の方々にも、一般公開する時間を設けておりますので、ぜひご覧ください。
場所 蔵敷埠頭(ふとう)
寄港日程
7月29日 午後3時30分ごろ入港。8月2日 午前10時ごろ出港
セイルドリル(訓練生が帆を張ります)
7月31日 午後1時〜4時ごろ
※日本丸が帆を張るのはこの日だけです。
一般公開
8月1日 午後1時〜4時
(午後3時で乗船締め切り)
登檣礼(とうしょうれい)
8月2日 午前10時ごろ
各ヤードに人員を配置して行なう
帆船で最高の礼です。「登檣礼」終
了後、出港します。
駐車場蔵敷埠頭内、蔵敷埠頭総合事務所横
駐車場には限りがあるため、出来るだけ車でのご来場はご遠慮ください。
※天候などにより行事日程を変更することがあります。
※暑い時期ですので、帽子や水分の準備など十分に暑さ対策を取ってください。
【お問い合わせ】今治市役所企画振興部 海事都市推進課
〒794-8511 愛媛県今治市別宮町1丁目4番地1 TEL:0898-36-1519(直通)
●日本丸フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%B8
日本丸(にっぽんまる)は船名である。この船名を持つ船はいくつかあるが、国土交通省(現在は同省所管の独立行政法人航海訓練所)航海練習船の日本丸がよく知られている。この日本丸は1930年(昭和5年)に進水し、約半世紀にわたり活躍した帆船である。1984年(昭和59年)に引退し、航海練習船としての役割を日本丸II世に引き継いだ。
日本丸(練習帆船)
文部省(後の文部科学省)航海練習船「日本丸」は1930年(昭和5年)に進水した帆船である。総トン数は2278トン、帆装型式は4本マストのバークに分類される。姉妹船に海王丸がある。 1984年(昭和59年)に現役を引退し、その後横浜市の日本丸メモリアルパークにて展示公開されている。
歴史
1927年(昭和2年)3月、鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」は千葉県銚子沖にて暴風雨のため沈没、乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生した。この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定された。2隻の建造費は合計182万円、当時の国家予算(軍事費および国債費を除いた一般会計予算:約8億7千万円)からすると破格の大型プロジェクトであった。
設計はスコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社、建造は神戸の川崎造船所が担当した。1930年(昭和5年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」、同年2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられた。同年3月31日には艤装を終え、文部省に引き渡された。同年にはミクロネシアのポナペ島へ初の遠洋航海を行った。
その後、太平洋を中心に訓練航海に従事していたが、太平洋戦争が激化した1943年(昭和18年)に帆装が取り外され、大阪湾、瀬戸内海にて石炭などの輸送任務に従事した。戦後は海外在留邦人の復員船として25,428人の引揚者を輸送した。1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では米軍人や韓国人避難民の輸送といった特殊輸送任務に従事した。1952年(昭和27年)、ようやく帆装の再取り付けがなされ、翌年春にはハワイに向け、戦後初の遠洋航海を行った。
1984年(昭和59年)9月16日の退役まで、約183万kmを航海し、約11,500名の実習生を育てた。その後、海洋練習船としての役割は後継の日本丸II世が担っている。
主要諸元
* 船種(帆装型式) 4檣バーク型帆船
* 総トン数 2278トン
* 全長 97m
* 全幅 13m
* メインマスト高 46m(水面からの高さ)
* 吃水 5.3m(平均)
* 総帆数 29枚
* 定員 138名
* 他 ディーゼル機関による機走可能
日本丸の後継として、1984年(昭和59年)に日本丸II世が就航した。日本丸II世は帆装艤装設計から製作まで、すべて日本国内で行われた初の大型帆船である。住友重機械工業浦賀工場で建造された。先代の日本丸に比べて帆走性能が大幅に向上しており、世界でも有数の高速帆船として名をつらねている。その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1986年,1989年,1993年と三回受賞している。 なお、日本丸II世と姉妹船の海王丸II世(1989年就航)を見分けるための大きな違いは、舳先にある船首像である。日本丸II世の船首像は手を合わせて祈る女性の姿をしており、「藍青(らんじょう)」と名付けられている。海王丸II世の船首像は横笛を吹く女性で、「紺青」と名付けられている。
主要諸元(日本丸II世)
* 船種(帆装型式) 4檣バーク型帆船
* 総トン数 2570トン
* 全長 110.09m
* 全幅 13.80m
* メインマスト高 43.5m(船楼甲板からの高さ)
(東京港のレインボーブリッジをくぐれる最大高さに設計されたと言われている)
* 喫水 6.57 m
* 総帆数 36枚(横帆18枚,縦帆18枚)
* 最大搭載人員 190名
* 他 ディーゼル機関(2基)による機走可能
主機型式 ダイハツ 右舷機:6DSMB-28NS 左舷機:6DSMB-28NSL
(マストが船底まで貫通しているため主機を中心に配置することができない)
その他の日本丸
文禄の役の日本丸
古くは文禄の役に参加した大安宅船である九鬼水軍の「日本丸」がある。当時の九鬼水軍当主九鬼嘉隆自らが設計にあたり、元の名は「鬼宿(きしゅく)丸」と呼ばれていたが、その偉容に感じ入った豊臣秀吉により「日本丸」と命名されたといわれる。兄弟船に「波切丸」(なきりまる)など同型艦が数隻有った。異説では、九鬼嘉隆は織田信長の命により世界最初の鉄甲船を数隻作っており、その中の1隻がこの日本丸であるともされるが、この説では信長による命名となる。
大きさは全長は151.5尺(約46m)、全幅29尺(約9m弱)、千五百石積み、百挺櫓で将士・水主(かこ)を合わせて180人が乗り組んだというが、大きさについては全長十五間(約27m)、幅五間(約9m)との異説もある。甲板上に三層の楼閣を設け、大筒を三門備えた当時としては類を見ない巨船であった。帆は順風の時のみに使用し、漕走を主とした。
文禄の役では九鬼水軍の旗艦として数度の海戦に参加しており、『志摩軍記』には朝鮮勢の攻撃を寄せ付けないその偉容ぶりが記されている。同役では多数の船舶が失われたが日本丸は生き残り日本に帰還している。のち鳥羽に回航され、九鬼氏の後に鳥羽城主となった内藤伊賀守忠重によって500石積み60挺立の船に縮小改造の上「大龍丸」と改名された。後に内藤家が断絶した後も、引き続き鳥羽藩の持ち船として使用され、老朽化のため1856年に解体されるまでほぼ江戸時代を通して残存したとされる。これが事実であれば260年あまりの船齢であったことになる。一般に木造船の寿命は長くとも20年程度であり、200年以上使用されたとすることには疑点もあるが、実際に200年以上存在した木造船として、関船天地丸(1630年、3代将軍家光の時代に建造され、廃船となる幕末までの230年以上の間、将軍の御座船として存在した。しかも廃船の理由は老朽化ではなく、幕末には軍船として旧式化したためである)の実例があり、維持管理しだいでは200年以上の存続も不可能ではないといえよう。
東洋汽船
明治時代には東洋汽船所有の汽船「日本丸」がある。イギリスで建造された。サンフランシスコ航路の貨客船として1898年(明治31年)より就航した。
1904年(明治37年)には海軍に徴用され、75mm砲2門などを搭載し特設巡洋艦(仮装巡洋艦)として日露戦争に参加した。日露戦争では日本丸を含む27隻の仮装巡洋艦が参戦したが、哨戒などの任務が多く戦没は無い。
商船三井客船
商船三井客船は、クルーズ船「にっぽん丸」を運航している。現在は3代目が就航中。初代は「あるぜんちな丸」を改装し「にっぽん丸」とし、青年の船などの航海で活躍した。2代目は赤塚不二夫のひみつのアッコちゃんでアッコの父が船長を務めた船のモデル。
* 全長166m、全幅24m
* 総トン数 21,903トン
* 巡航速力 18ノット
外部リンク
* 財団法人 帆船日本丸記念財団
* 独立行政法人 航海訓練所
* 商船三井客船
●日本丸メモリアルパークフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%B8%E3%83%A1%E3%83%A2
%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF
日本丸メモリアルパーク(にっぽんまるメモリアルパーク)は、横浜市中区の横浜みなとみらい21地区にある展示施設。帆船日本丸の展示ドックと、海事博物館の横浜マリタイムミュージアムがある。
概要
* 所在地・交通
o 神奈川県横浜市中区みなとみらい2-1-1
o JR根岸線・横浜市営地下鉄桜木町駅から徒歩約5分
o みなとみらい線みなとみらい駅・馬車道駅から徒歩約5分
* 開館時間等
o 10:00〜17:00(7~9月の土日祝日は18:30、11~2月は16:30閉館)
o 原則として月曜・年末年始休館(他に、日本丸の船体整備やミュージアムの館内整備のための休館日あり)
* 入場料
o 高校生以上600円、小中学生・高齢者300円(日本丸・ミュージアム共通)
* 運営
o 財団法人帆船日本丸記念財団(指定管理者)
日本丸
* 1930年に進水した、文部省の航海練習帆船。1984年9月16日に退役した後、1985年4月よりパーク内の展示ドックで浮体展示されている。
* 通常は帆は畳まれているが、年12回、職員と約100名の市民ボランティアにより、29枚全ての帆を広げる総帆展帆が実施される。海の日は総帆展帆の前に、帆船の最高儀礼である登檣礼を行う。なお、12月上旬から3月上旬までの間は、帆は取り外される。
* 毎年6月2日の開港記念日や祝日などを中心に、国際信号旗を飾る満船飾が行われる。
※現役当時の様子や・主要諸元は日本丸の項参照。
横浜マリタイムミュージアム
* パーク内にある海事博物館。日本丸の景観を妨げないよう、半地下構造になっている。詳細は横浜マリタイムミュージアムの項参照。
外部リンク
* 日本丸メモリアルパーク