
■2008年撮影のお祭り写真を現在アップ中です(^^♪
■現地で「掲載します」とお約束した皆様、あと少しお待ちくださいね。
■今後、掲載予定の秋祭りなど
(23日)伊予三島秋祭り三島地区夜太鼓統一運行 駅前通り〜中央本通り〜三島神社
(22日)伊予三島秋祭り三島地区統一運行(伊予銀行前)、寒川・豊岡地区統一寄せ
(19日)新居浜太鼓祭り船御幸、綾延神社殿中奴
(17日)新居浜太鼓祭り上部統一かき比べ
(16日)伊曽乃神社お旅所の続き、西条駅前等での後夜祭
(15日)みこし(御輿)のねり比べ、植村会
(15日)石岡神社お旅所内外・宮入り、丹原町統一かきくらべ
(14日)石岡神社本殿祭、土居太鼓まつりかき比べ等
(13日)高尾神社秋祭り、氷見新町屋台改修記念式
(12日)加茂神社例祭(福武祭)、秋季弁天祭り、神拝荒神祭、橘新宮神社
(12日)御所明神まつり、磐根神社毛槍投げ奴、嘉母神社祭礼宮出し・難波
(11日)東予秋祭り統一運行、パルティ・フジ東予店前かきくらべ
(11日)保内八幡神社秋季大祭、三津屋子供太鼓台・だんじり
などを順次アップします ■掲載完了の秋祭りなど ●
「2008 伊曽乃神社祭礼 御旅所」などはここから ●
「2008 伊曽乃神社祭礼 御殿前」などはここから ●
「2008 伊曽乃神社祭礼 川入り・宮入り」などはここから ●
「2008 伊曽乃神社祭礼 宮出し」などはここから ●
「2008 七泰会、伊曽乃川人会・御所神社祭り・下喜多川御輿十周年、日明格納庫
中西御輿改修、四国の祭りなど」はここから ●
「2008 新居浜太鼓まつり 大江浜かきくらべ、一宮神社かき比べ
西原vs新須賀、阿島vs松神子太鼓台、川東西部かき比べ(国領川河川敷公園)
又野・萩生西太鼓台新調、江口太鼓台、にいはま夏祭り、東田太鼓台新営」はここから ●
「2008 土居太鼓祭り 蕪崎太鼓台新調お披露目」などはここから ●
「2008 飯積神社祭礼 宮出し、渦井川(うずゐがわ)川原・船屋グラウンドかきくらべ、
飯岡本郷太鼓台新調、飯岡八幡太鼓台新営」などはここから ●
「2008 石岡神社例大祭 石岡神社宵祭り(前夜祭)、楢木(楢の木)屋台改修
桜木神社祭礼、高尾神社例大祭(春祭り)」などはここから ●
「2008 禎瑞嘉母神社祭礼 禎瑞高丸・難波・上組子供太鼓台」などはここから ●
「2008 東予秋祭り 壬生川宵祭り(前夜祭)、明理川・本町だんじり」などはここから ●
「2008 小松秋祭り 三嶋神社祭礼宮入り(階段上げ)、石土神社浦安神楽」などはここから ●
「2008 丹原秋祭り 中川ふるさと祭り」などはここから ●
「2008 第27回伊勢音頭フェスティバル」はここから 旧西条藩陣屋跡(西条高校前)で2008年(平成20年)10月15日に行われたの七泰会での玉津だんじり(屋台)です。近藤泰山氏が彫刻を手掛けた日明だんじり・福武新田だんじり・市塚新田だんじり・新町だんじり・玉津だんじり・仲町小川だんじり・福武天皇だんじりの七台の屋台が 陣屋跡に集合します。
伊曽乃神社祭礼関係の写真は今後も、(16日)伊曽乃神社お旅所の続き、西条駅前等での後夜祭 (15日)みこし(御輿)のねり比べ、伊曽乃川人会の続き、植村会 (12日)加茂神社例祭(福武祭)、秋季弁天祭り、神拝荒神祭、橘新宮神社、御所明神まつりなどをアップしていく予定です。

西条高校前での玉津だんじり(屋台)と市塚だんじり
(西条祭り2008) 伊曽乃神社祭礼(例大祭、祭り) 七泰会(1) 玉津だんじり(屋台) 西条市明屋敷 西条高校前 2008.10.15
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
■六十三番 玉津屋台(だんじり)
製作年 昭和2年(1927) 平成8年大修理
彫刻 近藤泰山
大工 石川甚助
素木の三階で、彫物の図柄は「湊川の戦い」、水引幕は赤地に白抜きで金糸の高縫の源氏車の紋が二つ。
*屋台の情報については、「山車・だんじり悉皆調査」さまより、引用させていただきました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/ehime-touyo.htm

西条高校前での玉津だんじり(屋台)と市塚だんじり
(西条祭り2008) 伊曽乃神社祭礼(例大祭、祭り) 七泰会(1) 玉津だんじり(屋台) 西条市明屋敷 西条高校前 2008.10.15
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

西条高校前での玉津だんじり(屋台)
(西条祭り2008) 伊曽乃神社祭礼(例大祭、祭り) 七泰会(1) 玉津だんじり(屋台) 西条市明屋敷 西条高校前 2008.10.15
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

西条高校前での玉津だんじり(屋台)と天皇だんじり
(西条祭り2008) 伊曽乃神社祭礼(例大祭、祭り) 七泰会(1) 玉津だんじり(屋台) 西条市明屋敷 西条高校前 2008.10.15
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

西条高校前での玉津だんじり(屋台)
(西条祭り2008) 伊曽乃神社祭礼(例大祭、祭り) 七泰会(1) 玉津だんじり(屋台) 西条市明屋敷 西条高校前 2008.10.15
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC
■私の撮影した2008年(平成20年)の西条祭り関係の写真は、右側のリンクの「2008 西条祭り関係」をクリックして順次ご覧ください。

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●お祭り豆知識●●湊川の戦い玉津だんじり(屋台)の彫物図柄になっている「湊川の戦い」についての豆知識です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%8A%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
湊川の戦い(みなとがわのたたかい)は、南北朝時代の1336年7月4日((建武3年)5月25日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。
湊川の戦い
戦争:南朝と北朝の戦い
年月日:1336年7月4日(建武3年5月25日)
場所:摂津国湊川
結果:足利軍の勝利
交戦勢力
新田・楠木軍(南朝) 足利軍(北朝)
指揮官
新田義貞
脇屋義助
大館氏明
額田為綱
楠木正成
菊池武吉 陸軍
足利直義
高師泰
斯波高経
少弐頼尚
赤松則村
海軍
足利尊氏
細川定禅
高師直
戦力
25,000(諸説有) 60,000(諸説有)
損害
新田軍:不明
楠木軍:壊滅 不明
南北朝時代
元弘の乱 - 中先代の乱 - 箱根竹ノ下 - 多々良浜 - 湊川 - 金ヶ崎 - 青野原 - 石津 - 藤島 - 四條畷 - 打出浜 - 薩?峠 - 筑後川
背景
この年の初め、足利尊氏は新田義貞・楠木正成・北畠顕家らに敗れて京都を追われ九州へ落ち延びていた。ここで、正成が後醍醐天皇に、状況が宮方に有利な今のうちに足利方と和睦する事を進言するが、後醍醐はこれを退け、義貞を総大将とする尊氏追討の軍を西国へ向けて派遣した。なお、正成は和睦を進言した事で朝廷の不信を買い、この追討軍からは外され、国許での謹慎を命じられた。
義貞は播磨国の白旗城に篭城する足利方の赤松則村(円心)を攻めている間に時間を空費し、この間に尊氏は多々良浜の戦いで九州を制覇して体制を立て直すと、京都奪還をめざして東進をはじめた。尊氏は高師直らと博多を発ち、備後国鞆津を経て、四国で細川氏・土岐氏・河野氏らの率いる船隊と合流して海路を東進した。
尊氏軍の東上に遭い、撤退を始めた新田軍に赤松勢が追撃を仕掛け、新田軍は大量の寝返りや足利軍への投降者を出しながら敗走した。一気に陣営がやせ細ってしまった義貞は、兵庫まで兵を退いて体制の立て直しを図った。
経緯
後醍醐天皇は正成に兵庫で足利軍と戦うよう命じ、援軍として差し向けた。水軍を用意できなかった新田軍は、本陣を二本松(和田岬と会下山の中間)に置き、和田岬にも脇屋義助・大館氏明などの軍勢を配置して水軍の上陸に備えた。楠木軍は湊川の西側、本陣の北西にあたる会下山に布陣した。
合戦では、足利直義を司令官とする陸上軍の主力は西国街道を進み、少弐頼尚は和田岬の新田軍に側面から攻撃をかけた。また、斯波高経の軍は山の手から会下山に陣する楠木正成の背後に回った。さらに、細川定禅が海路を東進し生田の森(神戸市三宮、御影付近)から上陸すると、義貞は退路を絶たれる危険を感じて東走し、楠木軍は孤立する。
ここで誰も居なくなった和田岬から、悠々と尊氏の本隊が上陸した。楠木正成は重囲に落ち、奮戦するものの多勢に無勢はいかんともしがたく、楠木軍は壊滅。正成は弟の楠木正季ら一族とともに自害し、義貞は京へ退却した。
当時の神戸市付近は、現在よりも海面が高かったこともあり、今以上に海が六甲山地に迫っていて平地が狭く、大軍の行動には適さなかった。そのため、宮方は水軍を全く持っていなかったことが決定的な敗因となった。
後世への影響
湊川の戦いや、正成が出陣前に嫡子の楠木正行を本拠地の河内国へ帰した「桜井の別れ」などは、戦前の皇国史観教育や唱歌などで、正成が勝てぬ戦と知りながら天皇のために忠義を尽くして死んだなどと脚色して伝えられた。 現在の兵庫県神戸市中央区には、楠木正成・正季兄弟終焉の地として正成ら楠木一族を祭神に祀った湊川神社があり、徳川光圀自筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑などが存在する。
太平洋戦争末期の1945年3月21日の九州沖航空戦の際、「神風特別攻撃隊第一神雷桜花隊・第一神雷攻撃隊」(ロケット特攻機「桜花」と、その母機である一式陸上攻撃機で編成された攻撃隊)は、九州南方沖に迫った米海軍高速空母機動部隊に対する攻撃に出撃したものの、敵の艦上戦闘機部隊の迎撃により全滅した。 この部隊の指揮官であった海軍少佐野中五郎は、鹿屋基地を出撃する際に、「これは湊川だよ(湊川の戦いのようなものだよ)」と呟いたと言われている。
関連項目
* 湊川神社
外部リンク
* 楠正成、湊川に出陣す