お祭り写真集は右側のリンクから
      ■2008年撮影のお祭り写真を現在アップ中です(^^♪
      ■現地で「掲載します」とお約束した皆様、あと少しお待ちくださいね。

      ■今後、掲載予定の秋祭りなど
      (19日)新居浜太鼓祭り船御幸、綾延神社殿中奴
      (17日)新居浜太鼓祭り上部統一かき比べ
      (16日)伊曽乃神社お旅所の続き、西条駅前等での後夜祭
      (15日)みこし(御輿)のねり比べ
      (15日)石岡神社お旅所内外・宮入り、丹原町統一かきくらべ
      (14日)石岡神社本殿祭
      (13日)氷見新町屋台改修記念式
      (12日)磐根神社毛槍投げ奴、嘉母神社祭礼宮出し・難波
      (11日)東予秋祭り統一運行、パルティ・フジ東予店前かきくらべ
      などを順次アップします


      ■掲載完了の秋祭りなど
      ●「2009 お祭り関係 飯岡本郷太鼓台年越し運行」などはここから
      ●「2008 伊曽乃神社祭礼 御旅所」などはここから
      ●「2008 伊曽乃神社祭礼 御殿前」などはここから
      ●「2008 伊曽乃神社祭礼 川入り・宮入り」などはここから
      ●「2008 伊曽乃神社祭礼 宮出し」などはここから
      ●「2008 植村会、七泰会、伊曽乃川人会、加茂神社例祭(福武祭)、御荒神祭(神拝荒神祭)
        御所明神まつり、秋季弁天祭り、橘新宮祭、御所神社祭り、
        下喜多川御輿十周年・日明格納庫、中西御輿改修、四国の祭りなど」はここから

      ●「2008 新居浜太鼓まつり 大江浜かきくらべ、一宮神社かき比べ
        西原vs新須賀、阿島vs松神子太鼓台、川東西部かき比べ(国領川河川敷公園)
        又野・萩生西太鼓台新調、江口太鼓台、にいはま夏祭り、東田太鼓台新営」はここから

      ●「2008 土居太鼓祭り 北野・入野・畑野・飯武・土居本郷太鼓台かき比べ
        蕪崎太鼓台新調お披露目」などはここから

      ●「2008 伊予三島秋祭り (23日)三島地区夜太鼓統一運行
        (22日)寒川・豊岡地区統一寄せ、伊予銀行前三島地区統一運行などはここから

      ●「2008 飯積神社祭礼 宮出し、渦井川(うずゐがわ)川原・船屋グラウンドかきくらべ、
        飯岡本郷太鼓台新調、飯岡八幡太鼓台新営」などはここから

      ●「2008 石岡神社例大祭 石岡神社宵祭り(前夜祭)、高尾神社秋祭り
        楢木(楢の木)屋台改修、桜木神社祭礼、高尾神社例大祭(春祭り)」などはここから

      ●「2008 禎瑞嘉母神社祭礼 禎瑞高丸・難波・上組子供太鼓台」などはここから
      ●「2008 東予秋祭り 壬生川宵祭り(前夜祭)、明理川・本町だんじり」などはここから
      ●「2008 小松秋祭り 三嶋神社祭礼宮入り(階段上げ)、石土神社浦安神楽」などはここから
      ●「2008 丹原秋祭り 中川ふるさと祭り」などはここから
      ●「2008 第27回伊勢音頭フェスティバル」はここから

 2009年(平成21年)1月3日、来島海峡大橋のライトアップ撮影に行く途中、今治市別宮町の別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所に立ち寄ってみました。
 今回はその3で、四国第五十五番霊場の別宮山光明寺金剛院 南光坊です。

(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03

 別宮山金剛院 南光坊の山門
(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

山門の傍らに「今治市戦災の碑」がたてられていました。
「今治市戦災の碑
碑文
今治市は、太平洋戦争末期の昭和二十年(一九四五)、米軍の大型爆撃機B29により、三度にわたり空襲を受け、市民をはじめ県内外からの動員学徒など、愛媛県下で最も多くの人たちが、犠牲となった。
 戦災・終戦から六十三年が経過し、この歴史的試練が風化しつつある今日、ここに今治市における戦災の記録を残し、戦争の惨禍を後世に伝えるとともに、あわせて犠牲者を追悼し、永久の平和を祈念するため、戦災市街地のこの地に、戦災の碑を建立する。

第一回空襲・・四月二六日
死者六八名・重傷者三四名・全壊家屋四一戸・半壊六三戸

第二回空襲・・五月八日
死者二九名・重傷者四名・全壊家屋四三戸・半壊九八戸

第三回空襲・・八月五〜六日
死者四五四名以上・重傷者一五〇名以上・八二一二戸全焼・三四二〇〇名以上罹災
     平成二十年(二〇〇八)年三月  今治市戦災遺族会  今治市の戦災を記録する会」


(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03

 別宮山金剛院 南光坊の山門にある広目天。南光坊の山門には、持国天・多聞天・広目天・増長天の像があります。
(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03

 別宮山金剛院 南光坊。正面は本堂。
(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

川村驥山の菅笠と筆塚
 書家として初の芸術院賞を受賞した川村驥山(きざん)は、昭和25年に書道家として初めて芸術院賞を受けた。昭和29年より遍路行へ、その時に被っていた「無所住而生其心」と書かれた菅笠と筆塚があります。


(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03

 別宮山金剛院 南光坊の本堂
(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

 本堂の前には芭蕉の句碑があります。
「  ものいへは唇寒し秋の風
 芭蕉の名句である。裏面に「社中謹立」と彫まれているから、蕉風を慕う人が建立したものであろうが、いつごろ建てられたか不明である。句は小文庫にあるが、その前書きに「座右銘」人の短をいうことなかれ、己の長を解くことなかれとある。  平成十八年一月八日」 説明文より


(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03

 別宮山金剛院 南光坊の金毘羅堂(右)と薬師堂(左)
(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

境内には高僧・天野快道と南光坊の僧だった越智寛雄の墓があります。
 南光坊中興の祖・天野快道大僧正(1846〜1923)は、 今治に伝わる「大楠と三匹の狸」という話の中で、境内で悪さをしていた狸を諭したという伝説が残っている人で、大正7年には真言宗醍醐派管長に選ばれ、 京都醍醐寺の座主をも務めた高僧。
 南光坊の僧だった「三宝米の祖」といわれる越智寛雄は高野山で修行し、高野山三宝院の住職となり、全国の信者から送られたお供えの米穀の中から質の良い稲の種を選んで南光坊に持ち帰り、檀家の農家で作られた米は品質の良さから三宝米として上方で評判となりました。


(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03

 別宮山金剛院 南光坊の大師堂。南光坊の大師堂と金比羅堂は、戦火を免れた歴史ある建造物で、地元の人から「別宮のお大師さん」の愛称で親しまれているそうです。
(神社仏閣) 別宮山金剛院 南光坊・別宮大山祇神社・黒住教今治大教会所 その3 今治市別宮町 2009.01.03
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

■私の撮影した神社仏閣関係の写真は、右側のリンクの「神社仏閣」をクリックして順次ご覧ください。

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●豆知識●

●南光坊(なんこうぼう)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%85%89%E5%9D%8A

南光坊(なんこうぼう)は愛媛県今治市にある真言宗醍醐派の寺院で、四国八十八箇所霊場の第五十五番札所である。山号を別宮山(べっくさん)、院号を金剛院(こんごういん)と称する。

ご本尊真言:おん まか びじゃな じゃなのう びいぶう そわか (なむ だいつうちしょうぶつ)

ご詠歌:このところ 三島の夢の さめぬれば 別宮とても おなじ垂迹

電話番号:0898-22-2916

南光坊(なんこうぼう)
本堂
所在地 愛媛県今治市別宮町3-1
位置 北緯34度4分7.3秒
東経132度59分44.5秒
山号 別宮山
宗派 真言宗醍醐派
本尊 大通智勝如来(秘仏)
創建年 伝・和銅5年(712年)
正式名 別宮山 金剛院 南光坊
札所等 四国八十八箇所55番

歴史
『神の島』といわれる大三島に鎮座する大山祇神社の別宮として伊予国越智郡日吉村の地に別宮大山祇神社が勧請されたのは大宝3年(703年)、異説にあってはそれから9年後の和銅5年(712年)と伝えられている。大山祇神社にはその数24の僧坊があったが、この年、そのうちの南光坊を含む8坊がその別宮の別当寺としてともに遷されたという。なお、これら8坊の移転を正治年間(1199年 - 1201年)とする説もある。

これらの坊はそれからしばらくともに存続していたが、天正年間(1573年〜1592年)に、伊予の全土を襲った長宗我部氏の軍勢により焼き払われ、失われることとなった。

しかしのちに至って、それらのうちの一坊である南光坊のみが別宮(大山祗神社)の別当寺として再興されることとなった。ここに今に至るところの別宮山南光坊の歴史が始まった。

近世以降
江戸時代には藤堂高虎の祈祷所として薬師堂が再建されるなど、近世は今治藩主の篤い崇敬と庇護を受ける神宮寺としてあった。文久年間(1861年〜1864年)には金毘羅堂が造られる。

時も下って明治になると、神仏分離令にしたがう形で神仏習合の状態を脱し、これをもって、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)を本尊とする寺として独立した。

大正5年(1916年)には大師堂が建造される。第二次世界大戦のさなかには境内が激しい空襲に晒され、これにより伽藍のほとんどが焼失したが、金毘羅堂とこの大師堂だけは無傷であった。

伽藍
* 山門
o 四天王が守護する大型の山門。一般的な全面両側に仁王像がある山門の形ではなく後面両側も加えた四箇所に四天王を配置している。四国八十八箇所では唯一の形式である。
* 本堂
o 釈迦如来の師とされている大通智勝如来(秘仏)を本尊として、その脇仏として弥勒菩薩と観音菩薩を、ともに瓦屋根の本堂に祀る。大通智勝如来を本尊とするのは四国八十八箇所で当寺のみである[3][2]。真言は『なむだいつうちしょうぶつ』[4]。
* 大師堂
o 弘法大師(空海)を本尊とするこの堂は、山門を入った右手にある。第二次世界大戦のさなかの空襲によって境内の大部分が消失するも、金毘羅堂とこの堂だけがその戦禍を免れた。伝えられるところによれば、数多の焼夷弾が境内に落ちてきたものの、それらのいずれもがこの堂の屋根を滑り落ちてゆき、そのときの堂内にいた避難者の全員が無事であったという。[1][4]

宿坊:なし

交通アクセス
鉄道
* 四国旅客鉄道(JR四国) 予讃線 - 今治駅 (0.8km)

バス
* せとうちバス 今治営業所行き「今治市役所前」下車 (0.3km)

道路
* 一般道:国道317号 南光坊西 (0.1km)
* 自動車道:西瀬戸自動車道(西瀬戸しまなみ街道) 今治IC (3.1km)

隣の札所
四国八十八箇所
54 延命寺 --(3.4km)-- 55 南光坊 --(3.0km)-- 56 泰山寺

文献資料
1. ^ a b 『四国古寺を往く』 〔ISBN 4886021077〕 P.153 - 冨永航平
2. ^ a b c 『MSNトラベル - 国内観光ガイド - 南光坊』 - Microsoft
3. ^ a b 『四国古寺を往く』 〔ISBN 4886021077〕 P.152,153 - 冨永航平
4. ^ a b c 『四国八十八カ寺&周辺ガイド』 〔ISBN 4883382567〕 P.130 - エスピーシー

参考文献
* 宮崎建樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)

●川村驥山
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9D%91%E9%A9%A5%E5%B1%B1

川村 驥山(かわむら きざん、1882年5月20日 - 1969年4月6日)は、静岡県生まれの日本の書家。日本芸術院会員。本名は川村慎一郎、別号に酔仏居士、酔驥、長嘯庵主人などがある。

父は漢学者川村東江。父より漢学を学び、書を太田竹城に学ぶ。

略暦

* 1894年、孝経全文暗書に明治天皇の天覧を受ける。
* 1909年から1913年、内閣賞勲局に勤務。
* 1913年、書道研究のため渡支。
* 1931年、再度渡支。
* 1932年、東方書道会を結成。
* 1941−1944年、北京に滞在。
* 1948年、日展審査員となる。
* 1950年、日本芸術院賞受賞。
* 1952年、日展運営会参事就任。
* 1958年、日展評議員就任。
* 1962年、芸術院会員、日展理事に就任。
* 1965年、勲三等瑞宝章受章。

刊行物

* 「驥山狂草飲中八仙歌」 五禾書房 1962 (昭和十六人集)
* 「驥翁自適帖」 二玄社 1965
 
テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真


















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