お祭り写真集は右側のリンクから
      ■現在、撮影した以下のお祭りの様子を精力的にアップしています。

      ■今後、掲載予定の2009年の祭り
      ●(10月17日) 新居浜太鼓祭り角野泉川地区夜太鼓、上部地区太鼓台統一かきくらべ
      ●(10月16日) 伊曽乃神社お旅所・川入り・駅前と西条地区後夜祭
      ●(10月15日) 石岡神社祭礼後夜祭・宮入り、みこし(御輿)のねり比べ、石岡神社渡御行列(お旅所付近)
      ●(10月14日) 土居太鼓祭り統一かき比べ、石岡神社祭礼本殿祭
      ●(10月13日) 土居太鼓祭り北小学校
      ●(10月11日) 禎瑞嘉母神社祭礼統一運行・河川敷
      ●(10月10日) 東予秋祭り統一運行

      ■掲載完了の2009年の祭りなど
      ●「2009 天皇陛下御即位20年奉祝」伊曽乃神社、お旅所、御殿前、マルヨシはここから
      ●「2009 伊勢神宮宇治橋渡始奉納」はここから
      ●「2009 伊曽乃神社祭礼 宮出し」などはここから
      ●「2009 伊曽乃神社祭礼 御旅所」などはここから
      ●「2009 伊曽乃神社祭礼 御殿前」などはここから
      ●「2009 西条市の祭り関係 石水会、植村会、七泰会、伊曽乃川人会、宮出し、前夜祭、八丁屋台昼・夜運行
        加茂神社例祭(福武祭)、原之前荒神祭、秋季弁天祭り、橘新宮祭、御所神社祭
        八丁屋台新調、愛寿会慰問運行、横黒屋台30周年、吉原稲荷大明神大祭高松
        四国の祭り2009、西条市産業文化フェスティバル子供屋台運行、伊曽乃神社の開運春まつり」などはここから

      ●「2009 新居浜太鼓祭り川西 川東 多喜浜駅前かきくらべ、新田入口、下原バス停、松神子 vs 阿島鉢合わせ
        一宮神社かき比べ(大江vs中須賀、大江vs西町小競り合い)、大江浜かき比べ(大江vs中須賀小競り合い)
        東浜太鼓台新調、江口太鼓台新調、東町太鼓台展示(フジグラン今治)
        伊藤商店飾り幕展示、久保田太鼓台展示、新須賀太鼓台(フジグラン新居浜)
        池田太鼓台(船木夏祭り)、新居浜夏祭り、マイントピア別子の子供太鼓台」などはここから

      ●「2009 新居浜太鼓祭り上部地区 上部地区太鼓台統一かきくらべ、大生院中萩地区夜太鼓」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り関係 子供太鼓台」などはここから
      ●「伊曽乃神社奉納屋台総集編」などはここから
      ●「石岡神社祭礼奉納屋台総集編」などはここから
      ●「飯積神社祭礼奉納太鼓台総集編」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り 川西地区太鼓台総集編」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り 川東地区太鼓台総集編」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り 上部地区太鼓台総集編」などはここから
      ●「丹原町屋台 総集編」などはここから
      ●「2009 石岡神社例大祭 天皇陛下御即位20年奉祝、橘・氷見地区宵祭り
        山王神社祭り、桜木神社祭礼、高尾神社春祭り」などはここから

      ●「飯積神社祭礼 飯積神社祭礼船屋朝太鼓、八幡まつり、飯岡本郷太鼓台年越し運行」などはここから
      ●「禎瑞嘉母神社祭礼 宮出し、子供太鼓台運行」などはここから
      ●「東予秋祭り 鶴岡八幡神社宮出し、保内八幡神社宮出し、東予宵祭り(前夜祭)」などはここから
      ●「小松町秋祭り」 小松祭り前夜祭などはここから
      ●「丹原町秋祭り 丹原町統一かきくらべ、恵美洲神社春祭り」などはここから
      ●「土居町太鼓祭り」などはここから
      ●「上野太鼓祭り 関川小学校」などはここから
      ●「伊予三島秋祭り」などはここから
      ●「今治市の祭り お供馬の走り込み練習」などはここから
      ●「松山市の祭り」などはここから

 2008年12月27日、愛媛県西条市明屋敷の西条高校お堀端で、カモメ(鴎)を撮りました。

西条市の野鳥 西条高校お堀端のカモメ(鴎) 愛媛県西条市明屋敷 2008年12月27日

 西条高校お堀端のカモメ(鴎)
西条市の野鳥 西条高校お堀端のカモメ(鴎) 愛媛県西条市明屋敷 2008年12月27日
NIKON D80 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

■私の撮影したカモメの写真は、右側の「カテゴリー」の中の「カモメ」をクリックして順次ご覧ください

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●豆知識●

●堀部 金丸(ほりべ かなまる(あきざね)(弥兵衛(やへえ))、寛永4年(1627年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日))
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E9%83%A8%E5%BC%A5%E5%85%B5%E8%A1%9B

堀部 金丸(ほりべ かなまる(あきざね)(弥兵衛(やへえ))、寛永4年(1627年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、赤穂四十七士の一人。赤穂藩では前江戸留守居、前300石、隠居料20石。父は堀部勝綱。母は不詳。本姓は源氏(近江源氏)。家紋は四ツ目結二ツ。

生涯

浅野長重の家臣堀部弥兵衛綱勝の子として常陸国笠間に生まれる。堀部家は祖父助左衛門以来、浅野家に仕える譜代の臣下の家である。幼少の時に父が死に若年より浅野長直、長友、長矩(内匠頭)の三代に仕え、祐筆を経て江戸留守居となる。妻に山田氏の女、さらに後妻として忠見氏の女わかを迎えており、先妻の山田氏の女との間には弥一兵衛とほりの一男一女をもうけたが、元禄5年(1692年)12月に長男弥一兵衛が男色関係のもつれから妻の縁戚の本多喜平次に殺された(本多は弥兵衛が討ち取ったという)。嫡男を失った弥兵衛は後妻わかの実家忠見氏から堀部文五郎言真を養子に迎えたが、藩主浅野長矩から却下されたため、赤穂藩の家禄を相続させる養子とすることはできなかった。

元禄7年(1694年)、高田馬場の決闘で活躍した浪人中山安兵衛を見込み、娘ほりと娶わせ婿養子に迎える。この養子縁組は長矩も許可し、弥兵衛は隠居して、代わりに安兵衛が家督を継いで長矩に仕えることになった。

元禄14年(1701年)3月14日、長矩が江戸城松之大廊下で吉良上野介に刃傷に及び、即日切腹、赤穂浅野家は改易となった。弥兵衛は藩邸を引き払い、馬淵一郎右衛門と変名して江戸に隠れ住む(堀部氏は近江源氏佐々木氏の馬淵氏支族であったので、先祖も称した本家の名字を使用したものと思われる)。

弥兵衛は婿養子の安兵衛とともに仇討ちを主張する急進派の中心となった。元禄15年(1702年)大石内蔵助は仇討ちを決定して江戸に下り、弥兵衛は「浅野内匠家来口上書」の草案を書いた。討ち入りの前夜、吉田忠左衛門らを招き酒宴を催した。

12月15日未明、大石内蔵助以下47人の赤穂浪士は吉良上野介の屋敷に討ち入る。弥兵衛は表門隊に属し、槍を持って門の警戒にあたった。2時間あまりの激闘の末に浪士たちは吉良上野介を討ち果たして本懐を遂げる。

討ち入り後は細川越中守屋敷にお預けとなり、元禄16年(1703年)2月4日、幕府の命により、切腹した。享年77。戒名は、刃毛知劔信士。同志のうち最年長者だった。

なおもう一人の養子堀部文五郎も討ち入りへの参加を望んだが、浅野家臣ではなかったので弥兵衛から拒否され、討ち入り直前に連座を避けるため忠見姓に戻して忠見家へもどされた(弥兵衛の日記によると文五郎がどうしてもと望むので吉良邸前までは弥兵衛のお供をすることを許したという)。忠見家に帰されたあとも文五郎は堀部姓を名乗り、弥兵衛と安兵衛の切腹後はかわって堀部家を継ぐ。元禄16年(1703年)赤穂義士に深く感銘していた熊本藩主細川綱利に召抱えられ、その子孫は熊本藩士として存続する。

参考文献

* 根岸鎮衛 『耳嚢』全3冊 長谷川強校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1991年。 - 江戸時代の随筆。堀部弥兵衛についての逸話を収録。

関連項目

* 元禄赤穂事件
* 赤穂浪士
* 忠臣蔵
* 高田馬場の決闘
* 大石神社
 
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