お祭り写真集は右側のリンクからご覧ください

 2010年10月15日、伊曽乃神社祭礼の宮出しでの上川原だんじり(屋台・楽車)です。2010年はお伊曽乃さんの階段上りを中心に撮ってみました。

(西条祭り 2010 伊曽乃神社祭礼関係) 宮出し お伊曽乃さんの階段上り 上川原だんじり(屋台・楽車) 愛媛県西条市中野甲1649 2010年10月15日

 宮出しでの上川原だんじり(屋台・楽車)
(西条祭り 2010 伊曽乃神社祭礼関係) 宮出し お伊曽乃さんの階段上り 上川原だんじり(屋台・楽車) 愛媛県西条市中野甲1649 2010年10月15日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


(西条祭り 2010 伊曽乃神社祭礼関係) 宮出し お伊曽乃さんの階段上り 上川原だんじり(屋台・楽車) 愛媛県西条市中野甲1649 2010年10月15日

 宮出しでの上川原だんじり(屋台・楽車)
(西条祭り 2010 伊曽乃神社祭礼関係) 宮出し お伊曽乃さんの階段上り 上川原だんじり(屋台・楽車) 愛媛県西条市中野甲1649 2010年10月15日
NIKON D300 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC


      ●私が撮った「2010 伊曽乃神社祭礼宮出し」の写真はここから順次ご覧ください

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      ■今後、以下の2010年の秋祭りを掲載していく予定です。
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      ■今後、掲載予定の2010年の祭り
      ●(10月22日) 三島地区伊予銀前交差点前統一運行、寒川・豊岡地区統一寄せ
      ●(10月21日) 伊予三島秋まつり氏参り・三島神社一斉参拝、寒川・中之庄・具定統一かき比べ
      ●(10月18日) 新居浜大江浜かきくらべ(大江 vs 中須賀小競り合い)・船御幸(大江 vs 中須賀鉢合せ)
        一宮神社かきくらべ

      ●(10月17日) 渦井川原かきくらべ、新居浜一宮の杜ミュージアム・旧エビスセンター前集合
        多喜浜体育館前集合・工場前かきくらべ(大江 vs 西町、西原 vs 新須賀、江口 vs 久保田小競り合い)

      ●(10月16日) 伊曽乃神社祭礼お旅所・御殿前、新居浜上部地区太鼓台統一かきくらべ
        小松だんじり統一寄せ、伊曽乃神社祭礼後夜祭(駅前・御殿前)

      ●(10月15日) 伊曽乃神社祭礼宮出し、石水会、七泰会、伊曽乃川人会、みこしのねり比べ
        石岡神社宮入り、丹原町統一かきくらべ、吉田祭り(徳威神社秋祭り)

      ●(10月14日) 石岡神社本殿祭、川之江秋祭り
      ●(10月13日) 土居中津小学校お祭り集会、川之江秋祭り、土居ファミリーマートかきくらべ
      ●(10月11日) 北川屋台新調、小松常盤祭
      ●(10月10日) 東予鶴岡八幡神社宮だし、禎瑞嘉母神社祭礼宮だし
        楢本祭、加茂神社例祭(福武祭)、原之前荒神祭、橘新宮祭、御所神社祭

      ●(10月 9日) 東予パルティ・フジ前かきくらべ、嘉母神社祭礼子供太鼓台自主運行、東予秋祭り統一運行
      ●(10月 7日) 道後温泉駅前鉢合わせ
      ●(10月 5日) 三津厳島神社鉢合わせ、石鎚神社秋祭り
      ●(10月 3日) 氷見山王神社祭り

      ■掲載完了の2010年の秋祭りなど
      ●「2010 西条市の祭り関係 北之町中組屋台新調などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り関係 子供太鼓台」などはここから
      
      ●「伊曽乃神社奉納屋台総集編」などはここから
      ●「石岡神社祭礼奉納屋台総集編」などはここから
      ●「飯積神社祭礼奉納太鼓台総集編」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り 川西地区太鼓台総集編」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り 川東地区太鼓台総集編」などはここから
      ●「新居浜太鼓祭り 上部地区太鼓台総集編」などはここから
      ●「丹原町屋台 総集編」などはここから

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●豆知識●

●禁門の変(きんもんのへん)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用させていただきました。

禁門の変(きんもんのへん)は、1864年8月20日(元治元年7月19日に、京都で起きた事件。蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)、元治の変(げんじのへん)、元治甲子の変とも呼ばれる。

戦争:禁門の変
年月日:1864年8月20日(元治元年7月19日)
場所:御所蛤御門周辺
結果:幕府側の勝利、長州藩の撤退
交戦勢力
長州藩
会津藩
薩摩藩
大垣藩
桑名藩
遊撃隊
新選組
指揮官
福原越後(総大将)
久坂玄瑞
来島又兵衛
国司信濃
益田右衛門介 一橋慶喜(幕府)
松平容保(会津藩)
西郷隆盛(薩摩藩)
大垣藩
近藤勇(新選組)
戦力
久坂玄瑞・真木保臣1600名
福原越後・国司信濃・益田右衛門介1600名 会津藩
薩摩藩
桑名藩
大垣藩
遊撃隊隊士
新選組隊士
損害
約400人
福原越後負傷
久坂玄瑞自害
来島又兵衛自害 約60人

名称

「禁門」とは「禁裏の御門」の漢名である。蛤御門の名前の由来は、天明の大火(1788年1月30日 (旧暦))の際、それまで閉じられていた門が初めて開放されたので、焼けて口を開ける蛤に例えられた為である。蛤御門は現在の京都御苑の西側に位置し、天明の大火以前は新在家御門と呼ばれていた。禁門の変が蛤御門の変とも呼ばれるのは、蛤御門付近が激戦区であった為である。その為今も門の梁には弾痕が残る。

概要

尊皇攘夷論を掲げて京都での政局に関わっていた長州藩は、1863年(文久3年)に会津藩と薩摩藩が協力した八月十八日の政変で京都を追放されていた。

藩主の毛利敬親と子の毛利定広は国許へ謹慎を命じられて政治主導権を失っており、京や大坂に密かに潜伏した数名の長州尊攘派はにわかに行動を続けていた。

1864年(元治元年)に入ると、孝明天皇を再び長州陣営のものとする為、京都に乗り込もうとする積極策が長州で論じられた。来島又兵衛、久坂玄瑞らは積極的に上洛することを主張し、桂小五郎と高杉晋作は慎重な姿勢を取るべきと主張した。6月5日の池田屋事件で新選組に藩士を殺された変報が長州にもたらされると、慎重派の周布政之助、高杉晋作や宍戸左馬之助らは藩論の沈静化に努めるが、福原越後や益田右衛門介、国司信濃の三家老等の積極派は、「藩主の冤罪を帝に訴える」などと称して挙兵し、益田、久坂玄瑞らは山崎天王山、宝山に、国司、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺に、福原越後は伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を構える。

この不穏な動きを察知して、薩摩藩士吉井幸輔、土佐藩士乾市郎平正厚、久留米藩士大塚敬介らは議して、長州兵の入京を阻止せんとの連署の意見書を、同7月17日朝廷に建白した。 朝廷内部では長州勢の駆逐を求める強硬派と宥和派が対立し、禁裏御守衛総督を勤める一橋慶喜(徳川慶喜)は退兵を呼びかけるが、京都蛤御門(京都市上京区)付近で長州藩兵が、会津・桑名藩兵と衝突した。一時長州勢は筑前藩が守る中立売門を突破して禁裏(京都御所内)に侵入するも、乾門を守る薩摩藩兵が援軍に駆けつけると形勢が逆転して敗退した。尊皇攘夷を唱える長州勢は壊滅、禁裏内で来島又兵衛、久坂玄瑞、入江九一、寺島忠三郎らは戦死した。

当時、京都守護職であった会津藩主・松平容保は、これにより長州の尊攘急進派を弾圧する体制を整えることになる。 禁門の変に於いて長州藩兵が内裏や禁裏に向けて発砲した事等を理由に幕府は長州藩を朝敵として、第一次長州征伐を行う。

戦闘の後、落ち延びる長州勢は長州藩屋敷に火を放ち逃走、会津勢も長州藩士の隠れているとされた中立売御門付近の家屋を攻撃した。この二箇所から上がった火で京都市街は「どんどん焼け」と呼ばれる大火に見舞われ、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が焼失した。この変後の長州藩士は、惨敗が相当悔しかったようで、履き物に「薩賊会奸」などと書きつけて踏みつけるようにして歩いたとされ、その時の薩摩藩や会津藩への深い恨みが後の世まで伝わっている。
 
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